2006年1月 3日 (火)

好きな『“石”の詩(5)』~金子みすず~

好きな『“石”の詩(5)』
金子みすず

 あけまして おめでとうございます。
 本年、最初の記事となります。

   昨年12月31日から帰って来ていた、
二人の子供夫婦家族が本日(1月2日)、それぞれ帰って行った。
孫達との楽しいひとときが、沢山の元気をくれた。
 
 急に、静かになった一人だけの家のなかで、
久しぶりに書いてみたくなった。

 明日(1月3日)は、五年ぶりの、
中学校同窓会を幹事として執り行わねばならない。
  これも、
これから一年間の元気の素になればよいがと思っている。

   さて、今回は「金子みすず(明治36年~昭和5年)」についてである。
    矢崎節夫氏の執念のご努力によって、
私たちは、今、“金子みすず”に出会えることとなった。

    「25年永年勤続表彰受賞を記念して購入
~お祝金をもとに~ 平成8年1月29日」
と記した、次の2冊の本が手元にある。
        「童謡詩人 金子みすずの生涯 矢崎節夫著 
          1995年9月14日第7刷    
                     JULA出版局」
      
     「新装版 金子みすず全集
              編集 与田準一、まどみちお、
                 清水たみ子、武鹿悦子、
                 矢崎節夫
        1.美しい町
        2.空のかあさま
        3.さみしい王女
       解説書・金子みすずノート(矢崎節夫) 
      1995年9月27日第17刷     
                 JULA出版局」

   金子みすず(本名テル)の短い生涯と、
矢崎節夫氏による、その発掘の過程は、
どのようなフィクションにも勝る
涙と感動の奇跡に近いような物語である。
 
 西條八十による金子みすず童謡の高い評価とその交流、
作品を託されていた実弟上山正祐とみすずとの関係と
矢崎氏の正祐氏との出会い、
離婚と子供を夫側に手渡さないための手段としての
自殺による満二十六歳の生涯、
金子みすずの一児の現在等々。
 そして、なによりも、一度接すると、
虜になってしまう、みすず詩の力に驚く。
 存在する全ての物や事象・風景等が、皆新鮮に感じられるようになるほど、
見方が一変する。
世界が、生き生きと動き出す。
不思議なこころに満たされるようになる。
そして、豊かな優しい心がよみがえってくるような気持ちがする。

 まずは、矢崎氏が大学1年生の時に出会い、以後の長い金子みすず探索のきっかけとなった、文庫本「日本童謡集 与田準一編 1957年12月20日第1刷 岩波書店」に、1編だけ載っている有名な「大漁」を次に紹介しておきたい。

     朝焼小焼だ
     大漁だ
     大羽鰮(いわし)の
     大漁だ

     浜は祭りの
          ようだけど
          海のなかでは
          何万の
          鰮のとむらい
          するだろう。

 現在、上記2冊の、
金子みすずに関する原典とも言うべき書物に頼らなくても、
多くのみすずについての本が出版されつづけている。
 しかし、この2冊こそが、もっとも重要な書物である。
      
   【以下は1月3日同窓会終了後に、続けて書いた部分である】

  全集には、死を覚悟して、西條八十と実弟上山正祐に、渡された三冊の遺稿手帳に記された512編の詩が収められている。
 この中に、題名に「石」が含まれているものとして、『美しい町』の中の「石ころ」、「濱の石」、「切り石」、『空のかあさま』の中の「空屋敷の石」、「石と種」がある。また、題名には入ってないが、詩本体に“石”の語が入っているものが数編ある。

   以下に、「石ころ」と「濱の石」と「切り石」を引用させていただく。

              「石ころ」

          きのふは子供を
          ころばせて
          けふはお馬を
          つまづかす。
          あしたは誰が
          とほるやら。
         
          田舎のみちの
          石ころは
          赤い夕日にけろりかん。
         
              「濱の石」
         
          濱辺の石は玉のよう、
          みんなまるくてすべっこい
         
          濱辺の石は飛び魚か、
          投げればさっと波を切る。
         
          濱辺の石は唄うたひ、
          波といちにち唄ってる。
         
          ひとつびとつの濱の石
          みんなかはいい石だけど、
         
          濱辺の石は偉い石、
          皆して海をかかへてる。

                「切り石」

           石屋に切られた
          切り石は、
          飛んで街道の
          水たまり。
         
          学校もどりの
          左側、
          はだしの子供よ、
          気をつけな。
         
          切り石や切られて
          おこってる。

  ほとんどの人は、石ころなど歯牙にもかけない。
  しかし、金子みすず的に石ころを見れば、
  いろんな物語が生まれる。
  石ころから、さまざまなことを学ぶことも出来る。
  石ころぐらいしかない殺風景なところでも、退屈することはない。

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2005年12月19日 (月)

林宏著 『鏡岩紀行』

林宏著『鏡岩紀行』

 “巨石”関係の記事を、また投稿してみたくなった。
 
 過日、『愛知発 巨石信仰』について紹介したが、
その中では巨石を11に分類していた。
そのひとつに『鏡岩』があり、
愛知県内7カ所と県外3カ所の鏡岩が取り上げられていた。
個々の紹介に入る前に1頁の解説があり、
そこの末尾に、
“(「鏡岩」平成12年林宏氏著参照)”との記載がみられた。

 今回は、
その林宏氏の本との出会いについての記事であるが、
その前に、まず触れさせていただきたいことがある。

 数日前、ある検索エンジンで、
私のこのブログのタイトル「石と在る」を検索した時、
その検索結果に『季ノ組』という変わった名称が出てきたので、
早速、そのホームページを開いたところ、
“面白いブログが見つかったので、
年明けにでも読んでみたい”
とのコメントをつけて、
私の「石と在る」を紹介してくれていた。
大変に光栄なことで、この場で、お礼を申し上げたい。

 驚いたのは、
『季ノ組』の“巨石”関係情報の膨大な量であった。
毎日のように、
新聞等に載っている記事を採録してくれているだけでなく、
リンクが非常に充実している。
一挙に、
私の
巨石・聖石領域の世界の視野が広がったように思った。
磐座学会が出来ていることも、初めて知った。
『愛知発 巨石信仰』の中で、ちょっとだけふれた
「古代祭祀跡 吉備の磐座(原稿作成平成元年、印刷発行平成四年)」
の著者佐藤光範氏が、
その学会で、発表されていることもわかった。
同じく『愛知発 巨石信仰』に記した、
『祭祀が語る古代吉備』の著者である
古代祭祀研究家の薬師寺慎一氏が関係する
ホームページ(古代祭祀研究会)もあることが分かってうれしかった。
 圧巻は、「求道者」、「泰山の古代遺跡探訪記」、
「Web魁(さきがけ)」 、
「LITHOS GRAPHICS」、
そして音楽家吉田達哉氏の「世界の石」等の
ホームページである。
それぞれ、そのホームページの世界に入って行くと、
興味深い内容に、なかなか抜け出せなくなってしまう。
私は、
いまだに普通の電話回線によってインターネットをしているので、
限られた時間しか、とどまっておれないので困ることとなる。

  『季ノ組』関係者、
「求道者」作者、吉田達哉氏、磐座学会関係者等々、
石や岩に惹かれる心を持ってしまった人々は、
後で紹介する林宏氏も同様であろうが、
私も、
石や岩に惹かれだした理由を、
明快には自身に説明できないまま、
そこから離れなくなり、
奥へ奥へと深く関わりを持たざるをえなくなったとの
想いがあるのではなかろうか。

 私自身については、いつか、
その根本的理由の解明をしていかねばと思っている。

 シュルレアリスムの旗手で
詩人・小説家のアンドレ・ブルトンに
「石の言語(巖谷国士訳 書物の王国6 『鉱物』 
国書刊行会発行所収)」という作品がある。
その中の一節が恐いくらいに、
今の私が浸りつつ在る状況を
説明してくれているようにも思えるので、
少し長くなるが引用しておきたい。
 
 「石は、
成人に達した人間の大多数をすこしも立ちどまらせずに、
そのまま通りすぎさせてしまうわけだが、
それでも万が一ひきとめられるような人がいると、
もう、とらえられて放さなくなるのが常である。
石たちは、たがいに押しひしめきあっているすべての場所で、
そうした人々を魅きつけ、
いわば彼らを、
とりみだした占星術師のようなものにしてしまうことをよろこぶ」
 そして、その作品の最後で、
石は生きていて言葉を持っているかのごとく述べている。
 「石たちは、
とくに硬い石たちは、
まともに耳をかたむけようとする人々に対して、
語りかけつづける。
聴く者ひとりひとりの尺度に応じて、
石たちは言語を持つ。
聴く者の知っていることを通して、
石たちは、聴く者の知りたがっていることを教えてくれる。
石たちのなかには、
呼びあっているように見えるものもある。
ふと近づいてみると、
石どうしが語りあっているさまに出あうこともある」
 
 石が生きているという感覚は、
文明の進んだほとんどの現代人にとっては
無縁となってしまったが、
時代を遡れば、
あらゆる民族が、
石に命があることを信じることなくして
生活することはできなかった。
 石は人間の進化の過程において、
いくたびも根源的で決定的な役割を果たしてきており、
また、今日にいたるまで、
人間社会のあらゆる場面において、
必要不可欠な要素となってきたからである。
石との切っても切れない関係が、
感謝、親しみ、驚異、畏敬、畏怖等となり、
人と同類あるいはそれ以上の命ある存在として、
無数の生きてる石の説話を
残すことにつながっているのではないだろうか。

   さて、林宏氏の「鏡岩紀行」であるが、
その存在を知ったのは、
2000年12月13日付け
「日本経済新聞」の最終頁にある「文化」欄であった。
この「文化」欄は、
私は、いつも愛読しているのである。
 林宏氏同様、
長年にわたって、ひとつのテーマで取り組んできた、
地道な、あまり目立たない文化的業績を
本人に語らせるスタイルをとっている。

   「古代の神秘映す『鏡岩』
~津々浦々訪ね歩き、調査結果を自費出版~」 という見出しの
林宏氏自身の手に成る
記事の書き出しの一部を以下に引用する。
 
 「我が国には、
古くから
全国に『鏡岩』または『鏡石』と呼ばれる岩石が
各地に残っている。
文字通り人や物の姿を鏡のように
よく映す岩のことで、
明治・大正時代ごろまでは歌に詠まれたり、
名所になったり、
信仰や伝承の対象として語り継がれてきたが、
現在では知る人は少ない。
私は五年前から
各地の鏡石・鏡岩五十八カ所を訪ね、
それらにかかわる伝承を調べてきた。
今回調査結果をまとめ、自費出版した」
 記事の最後に名前とともに、
愛知淑徳高校教諭であることが記されてあったので、
早速、高校の所在地を調べ、
お手紙をして、本を入手した。
 副題に
「地震が残した断層面の神秘な輝き」 とあり、
2000年8月22日発行の
中日新聞社出版開発局制作で、
四百二十頁の、
江戸時代の鏡岩の入った名所図会や
現在の写真等が豊富に入った見事な本である。
また、名所図会の絵のある乳白色の表紙カバーが実に美しい。
惚れ惚れとするような書物である。
 
  『考察編』、『探訪編』、『付録』から構成されている。
  『探訪編』に収められている鏡岩は、
京都府5カ所、滋賀県2カ所、和歌山県5カ所、
奈良県2カ所、兵庫県1カ所、三重県5カ所、
岐阜県6カ所、愛知県13カ所、静岡県4カ所、
長野県3カ所、福井県3カ所、埼玉県1カ所、
茨城県1カ所、千葉県1カ所、徳島県3カ所、
岡山県1カ所、福岡県1カ所である。
   
  『考察編』に、
鏡岩は、すでに風土記に記載があると書き、
木内石亭の「雲根志」には
5カ所紹介されているとし、
今日まで鏡のような輝きを保っているものは、
殆ど残ってないと述べている。
輝きが持続するのは500年程度かと推測している。
以下、この編の見出しだけ示しておきたい。
    ○「鏡石」「鏡岩」 は、本当に鏡になる岩か?
    ○「鏡石」「鏡岩」 は、いつ頃から知られていたのか?
    ○中国にも「鏡石」はあった
    ○出現時期が明らかな「鏡石」「鏡岩」
    ○「鏡石」「鏡岩」 にかかわる様々な伝承
      ・人や物の姿を映したという伝承
      ・輝きが強すぎて漁民を困らせたという伝承など
      ・人の心の善悪を映し出すという伝承など
    ○かつては「鏡石」「鏡岩」を磨いた時代があった
    ○「鏡石」「鏡岩」はかつて信仰の石だった
    ○鏡肌の人為的消滅伝承の謎と「鏡石」「鏡岩」の破壊
    ○「鏡石」「鏡岩」が多く見られる場所とは?
    ○特殊な「鏡石」「鏡岩」
         ・池中の「鏡石」
         ・「屈み石」か「鏡石」か
         ・鏡肌を持たない「鏡石」「鏡岩」
         ・不思議な伝承を持つ「鸚鵡石」も鏡肌の岩
     ○「鏡岩」という名前を持つ男たち
    ○鏡肌の寿命
    ○まとめに代えて

  『考察編』の、次のような最後の一節が強く心に残る。
 「効率主義に基づく競争原理や時間の制約に囚われて
毎日アクセク生きている私たちにとって、
『鏡石』や『鏡岩』は
そうした現代人が忘れ去ろうとしている自然界が
私たちに与える驚きや安らぎの大切さに気付かせてくれる
一種の『清涼剤』として、
古代から送られた美しくもはかない
『贈り物』のような気がしてならない」

 大いに共感出来る考えである。私も、石の随筆シリーズで、
何度か、似たような感懐を述べている。

 ところで、私は、未だ鏡岩はひとつも見たことがない。
まずは、岡山県の1カ所「備前市八木山にある鏡石神社の鏡石」に
行ってみなければならない。

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2005年12月14日 (水)

好きな『“石”の詩(4)』~久門正雄~

好きな『“石”の詩(4)』
~久門正雄~

 これまでに、すでに紹介している、
作品社の日本の名随筆(88)
『石(奈良本辰也編、1990/2/25発行)』の中で、
私が一番好きなのが、
久門正雄氏の愛石志(抄)である。 
 
 この抄録は、中間の作庭に関する部分である。
原文の前半と後半で、
石の本質や日本人の愛石の全体像を、
やや難解ではあるが、
文学性香気の豊かな表現で、
しかもバランスよく的確にまとめてくれており、
こちらのほうがどちらかというと、
幾度も繰り返し読みたくなる石についての文章なのである。

 これが収められている原本は
「石の鑑賞(昭和二十九年十二月十日発行、理想社)」である。
そして、「石の鑑賞」は、
「石の発見(昭和十九年一月二十五日、宝雲舎)」
の増補改訂版であり、
“発見”では、
前半に築庭と石に関する各論的な数編の作品を置いて、
後半に総論的な愛石志が九十頁分を占めている。
 
 一方、“鑑賞”では、
人と石の不思議な関わり、
石を愛する道、
庭石からの石の発見などが、
全体的な視点で、
文学的にまとめられている
愛石志は冒頭に配置されており、
愛石入門書としても“発見”より、
手にとってわかりやすい。

 「石の鑑賞」、「石の発見」とも、
石に関連する新旧の本の蒐集を始めた初期に、
ある古書店で探し当て、
私の大切な座右の書となっている。
愛石志を超えるような、
石と人間の関係の奥深さについての総合的な文学作品が、
書けるようになりたいものである。
私の今後の大きな目標となっている。
 
  両書の中に、私は、未だ見ていない、
著者の旧著にあたる
『掌上の石』から石の詩が2編収められている。
一つは本の題名になっている“掌上の石”で、
もうひとつが3部構成の長詩“石”である。
今回は、短い前者のみを取り上げ、
いつの日か、長詩“石”も紹介したい。

               掌上の石

         手ごろな石を拾うて
         掌の上に、
                  じいっと支えてみる。
                  ほどよい重さが
                  静かに感じられる。
                  その石を
                  そろりと握り、
                  もそっと強く 握ってみる。
                  おそるべき硬さが
                  身にこたえる。
 
 私は、この詩にならって、
机の上に置いてあるいくつかの石ころを、
ときどき手に取って、
持ち上げ握りしめることがあるが、
他のどのようなものにもない独特の、
重さを感じるとともに、
今ある形になった、長い時の経過や、
いろいろな場所での様々な圧力・困難等に想いをめぐらすと、
生あるものの避けられない孤独が癒される。

 ここで、久門正雄氏の略歴を引用しておきたい。
  日本の名随筆(88)『石』によると、
「1892~1982,歌人・随筆家。
愛媛に生まれ二松学舎で学んだのち、
女子教育に従事。その後歌集『小さい足跡』を上梓。
故郷の愛媛県西条市で、著作活動を続けた。
西条史談会会員、西条市文化財保護委員長等を歴任」  、
また著書『言葉の自然林(方言俚語の詳密研究と日本語原論))
昭和四十九年八月二十五日刊行』に載っている、
著者自身による著作歴は以下の通りである。
 
 「○赤とんぼ(歌集)、○未尽集(先妣に対する哀慕歌集)、
○文法を中心としたる小倉百人一首の解釈、
○頭註花月草紙、○真生(月刊歌誌。廃絶)、
○群鳥(月刊歌誌。廃絶)、○春宵(歌集)、
○掌上の石(詩歌随筆)、○逕(歌集)、
○新居浜市誌語誌編(昭和二十五年市役所舎屋と共に消失)、
○石の発見(嘗て見ざりし文化史的石の見方)、
○高秋田とその画(高秋田に関する唯一の書)、
○伊藤鉄石についての聞書とその作品(伊藤鉄石に関する唯一の書)、
○石の鑑賞
【本の中で紹介した青石のその後についてやや長い説明があるが省略する】、
○日本美(一部分、雑誌へ発表)、
○美しいものの見方【原稿や紙型が消失した経緯紹介省略】、
○小さい足跡(周平に対する哀悼編)、
○国語拾遺語原考【廃棄すべき書で、次の書で完成に近づけたと記す】、
○言葉の自然林
(前出国語拾遺語原考を廃棄にして、増補改修、更に日本語原論加ふ)、
○宿命論【長い説明があるが省略】、
○諸雑誌へ諸小論【長い説明あるが省略】、
○作詞ー校歌・寮歌・社歌等、
○校閲ー薄田泣菫全集散文部・西条市誌【説明省略】、以下略」

 最後に、思いもかけないようなことであったが、
久門氏の子供さんとなる女性との出会いについて記しておきたい。
私が、数年前から、石の随筆シリーズを寄稿している、
ある同人誌的な雑誌で、
私の「『石の来歴』随想」に興味を持ってくださった、
同誌の寄稿家K氏から誘いをうけて、
K氏が別に主催している同人誌的な雑誌に、
私も、ライフワークと考えている
「健康観」についての随想を載せていただくようになって、
しばらくしてから、
その雑誌に時々、
原稿を寄せておられる女性が、
久門氏の子供さんに当たられる方だとの紹介をいただいた。
そして、一度だけ、手紙の交換をさせていただいた。
随分と励みとなった内容の文面であった。
いつか、機会を得て、
久門正雄氏の著書の全貌や蔵書等に
触れさせていただけるようなことが出来たら、
どんなにかよいだろうかとも願っている。

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2005年12月10日 (土)

『石』の総説

    『石』の総説
 
 時を遡るほどに、
石と人との間には豊かな関わりが存在していたことは
誰しもおぼろげながら知っている。
しかし、ことさらにそのことを大切に想っている者の数は
ごく限られているといってもよいだろう。

 人の知力の成果、
あるいは人工のあだ花に満ち満ちた現代社会の中で、
便利快適さに酔い、快楽を欲しいままにしている人々も、
今一度、人の存在の根源にある「石」に想いを寄せ、
それと対峙することで
「生」のより深い意味を考えてみることの意義は
大きいのではないだろうか。
 
 自然そのものの「石」から
人生を学ぶことができる奥の深さや、
「石」の飾らぬありのままの美への感動をどのようにしたら、
一人でも多くの人に伝えていくことができるだろうか。
このことに心をくだいた人や
その作品等に出会えることは私にとって大きな喜びである。 

 平素は、ほとんど人々の意識に上がることのない
「石」と「人」との長い長い物語りを、
いつのことになるかはわからないが、
『石想記』という表題でエッセイ風にまとめることができたら、
というのが私の数少ない夢のひとつである。
   
 「石想記」の基本コンセプトは、
人類発祥以来の石との関わりの全体に想いを巡らし、
そのことで人間の精神に
「石」の重しを置き安定化を図るとともに、
謙虚さに加え、自然を畏敬する心を取り戻すことである。
 
 多くの先人の業績を参照し、
石が及ぼした人間精神の奥底を探りつつ、
より多岐に渡る石と人との関わりの全体を
網羅した内容を目指していきたい。
 
 私がこれまで収集してきた石に関する書物の中で、
石と人間生活について、
いささかなりとも全体的視点で
まとめられているものは以下の通りである。
 
  (1)石の文化史 M.シャックリー 岩波書店
  (2)新・石の文明と科学 中山 勇 啓文社
  (3)石のはなし 白水晴雄 技報堂出版
  (4)石ころの話 R.V.デイートリック 地人書籍
  (5)パワーストーン百科全書 八川シズエ 中央アート出版社
  (6)愛石家の地質教室 大森昌衛・小林巌雄 徳間書店
  (7)岡山の石 宗田克巳 日本文教出版株式会社
  (8)石と人生 渡邊萬次郎 誠文堂新光社[「別冊農耕と園芸 水石の     
     心・石の味」所収]
  (9)石の文化 岸加四郎 高梁川流域連盟[「高梁川第三十八号特集      
    『石』」所収]
  (10)日本人と石 株式会社エス出版部
  (11)石の神秘力[別冊歴史読本] 新人物往来社
 
 これらに加え、
分野は異なるが「石神信仰 大護八郎 木耳社」、
「石の民俗 野本寛一 雄山閣」、
「新・石の伝説 石上堅 集英社文庫」等も
ぜひ参考にしていかねばならない。
さらには、木内石亭の「雲根志」を忘れることは出来ないし、
錬金術、石器時代、巨石文明、鉱物資源、
現代石彫刻、石仏、水石、石垣、石臼、石橋等々に
ついてのモノグラフも活用していかねばならないだろう。
   
 以前に紹介した『石に叱られて』の「はじめに」は
わずか3頁であるが、
私が構想しつつある「石想記」を極めてコンパクトにまとめた、
いわばエッセンスといってもよいような内容である。
 
 「遠い遠い昔、人間が石を投げて獲物をとり、
猛獣から身を守り、敵と闘っていた頃のこと」
という書き出しで始まり、
「石窟や鍾乳洞の中に住居していた人間は、
生活用具の中に石を採り入れ、
石器を創り、やがて鉱石をみつけてゆく」とすすめて
「石を素材として生み出された人間の歴史は、
石を科学的に征服した歴史でもある」
とし、「然し現代ようやく、
征服の歴史はやがて征服される運命にあると、
気づき始めた人達によって、
石の世界への見直しが始まってきた」、
「石に生かされて来たという深い宗教的反省は、
宗教的思考を益々高め深めさせている」、
「今まで石に教えられ、慰められ、励まされ、
そこに拓かれて来た私の人生には、
忘れ難いものが沢山ある」等の文が続く。

 ここで、上記の石と人との関係の総説のうち、
いくつか、その構成内容を示しておきたい。
もっとも代表的成書といえば 
M.シャックリーの「石の文化史」であろうが、
これは「序章」、「地球の歴史」、「道具・武器・人為物」、
「煉瓦とモルタル」、「石材の設立」、
「化粧品・宝石・装身具」、「医術と技術」、
「儀礼・宗教・呪術」の各章から成っている。
「序章」の最後は以下のような文で結ばれている。
 
 「地球を構成する岩石は、
生物としての人類が発達してくる際に
重要な役割を担っていたものであり、
事実、初期人類の道具の材料として利用されて以来、
岩石は人類にとって役に立つものだった。
今日においても、
人類はさまざまな意味で岩石に依存する部分が多く、
〈化石〉燃料である石油資源や、
古代文明の技術が
いかんなく発揮された巨大な石材などをみるまでもなく、
これは明らかなことである。
この地球上に存在する岩石は、
われわれの最も重要な資源であるばかりでなく、
他のものによって代用することが全くできない
貴重な資源なのである。
以下の章において、
人類がこのような資源としての岩石を利用してきた方法が、
いかに人類の文化史の流れの中に
反映されているかをみていくことにしょう」
 
 次いで、渡邊萬次郎氏(前秋田大学学長)の
「石と人生」であるが、
“石のいろいろ”、“石の利用”、“石の一生”、
“石の産地”の各章から成っているが、
このうち“石の利用”で、
石と人の関わりの全体を通観している。
「原始生活と石」、「古代生活と石」、「近代生活と石」、
「石と土建」、「石と産業」、「家庭と石」、
「宝石と飾り石」、「石と迷信」、「石と宗教」、
「石と戦争」、「石と芸術」、
「石と風景」、「石と洞窟」、「石と盆栽」、
「水石の特徴」、
「庭石の意味」の項目で組み立てられている。
      
 なお、「人類の歴史の九九パーセント以上は、
利器に石器を使う石器時代である。
人類史に占める石器時代の重要性は
再認識されるべきである。
単に時間が長かったというだけではない。
この間に今日の私達の社会を作りだしている
もっとも基本的なものがすべて準備されていたのである
([石器時代の世界 藤本強 
教育社歴史新書 一九八〇年四月]より)」という点は、
必ず「石想記」の根幹に置いてまとめていきたいものである。
 
 最近出版された本
「文化としての石器づくり 
大沼克彦 学生社 二〇〇二年五月発行」の
「はじめに」の中でも次のように書かれている。
 
 「世界に文字や都市国家が出現して、
人間社会のありさまが記録され、
今日まで残っているのは、
ほんのここ五千年ぐらいのことであり、
四百万年ともいわれている
人類史のわずか八百分の一にすぎないということである。
 私たちは、石器が、
私たちの遠い祖先が霊長類から分離して以来、
つねにつくられ、
使われてきたもので、
私たち自身の先祖が残した
人類共通の遺産であることをつい忘れがちである」
 
 さらに、火山から噴き出される大量の石、
大雨のとき土石流となって流れ出す石、
また空から流れ落ちて来る隕石など、
どれひとつとってみても「石」は、
今日の科学文明の時代においてさえ、
脅威と不思議に満ち満ちていることの認識が
重要性であることを「石想記」で強調していきたい。
また、「石」は、
他の動物が備えているような鋭い爪も牙もなく、
速い足や、樹木の上を器用に行き来する術も持っていなかった、
なんともあぶなっかしくも頼りない存在の私達の祖先に、
身を守る隠れ家であり住処となる洞窟や、
武器を提供してくれた上に、
数知れない生活用具の素材となっていったのである。
感謝してし過ぎることはない。

 「石」の計り知れない未知なる力と
恩恵への思念・情念が、
人類の遺伝子というか
本能にインプットされていないはずがない。
人は、「石」への無意識な畏敬の気持ちから、
世界の各地で、
必然的に多くの大小さまざまな
石の聖地を生み出さざるをえなかったと私は考えたい。
今日、皆が足を運ぶ寺院や神社、
及び巨大列石等の聖地は、
そのうちの極一部であるに違いない。
今では、忘れられてしまったり、
埋もれてしまっている聖地も
数多く存在するのではなかろうか。
それらの掘り起こし、
復活が大切である。
 
 さて、最近読んで、
我が意を得たりと思った
「聖地の想像力〜なぜ人は聖地をめざすのか〜
 植島啓司 集英社新書 二〇〇〇年六月発行」
という示唆に富んだ本がある。
そこから、いくつかの箇所を引用して
、本編を終えることとする。
 
 「聖地というのは
ほとんどが地質学的な境界線上に
おかれているという事実がそれだ。
そのメルクマールとして、
それは必ず石によって表示されている」
 
 「『なぜ聖地は一センチたりとも
場所を移動しないのか』というと、
『そこに石(石組み)があったからだ』
ということになる」
 
 「聖地は最初から聖地なのである」
 
 「多くの石によって印しづけられた区域は、
古代よりいかなる有為転変を繰り返してきたのか。
また、『神地』の正方形はいったい何を語るのか。
いまでは想像するしかないのだが、
おそらく磐座から
『神地』を経て社殿へと移り変わるなかにおいても、
そこで行われてきたこと自体は
ほとんど変化がなかったのではなかろうか」
 
 「聖地とは夢を見させる場所である」
 
 「あらゆる聖地での治療は、
特定の場所で眠らせて(籠り)、
夢を見させ、そのお告げによって
病気を治す方途を探るものである」
 
 「かつての日本において、
神籬(ひもろぎ)や磐境(いわさか)が
神社の起源であることはよく知られたことであるが、
それらは天体ともよく結びついていたのだった。
われわれは目印なしには
時間も空間も計測することができなかったのである。
そして、そこは必ず夢を見るところなのであった」

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2005年11月14日 (月)

石の長者『木内石亭』

   築地書館より出された、

木内石亭(1724~1808)の代表作『雲根志』の

復刻、訳注、解説付の函入り限定1500部の一冊を、

ほぼ二十年位前、出張で東京に行った時、

神田神保町の明倫館書店のショウケースに見つけ、

ただちに購入したことを昨日のように思い出す。

 生涯を賭けた奇石収集の熱情において、

古今に、木内石亭以上の人物がいるだろうか。

私が目にした、

木内石亭について書いている作品は、いくつかある。

 まずは、現代の石亭ともいうべき、

益富寿之助氏の『石〜昭和雲根志1〜(六月社刊)』であるが、

自序の中で「雲根志が扱っているような奇石を紹介し、

以って一般の人々の石への関心を高めんがために

綴ったものである」と上梓の意図を語っている。

 本書は、新書の変形版で、

石亭小伝、石亭につながる3人とその遺品、

第1編としての二十七の奇石解説が内容となっており、

あとがきで第2編、3編を予告しているが、

私はいまだ目にしていない。

 ついで、昭和十三年出版の森銑三著

「おらんだ正月」の中の一編に、

「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」という作品がある。

著者は、昭和五十三年十月発行の新版

「おらんだ正月(冨山房百科文庫20)」の後記で次のように記している。

 「内容は、江戸時代の科学者、

実学者達の小伝五十二編を収めており、

それより先に、雑誌『子供の科学』に連載したものに、

さらに幾編かを書足して一部の書としたのでした。

その材料には、諸先生方の研究を、

勝手に使わせてもらっており、

私自身の研究するところなどは極めて少ないのですが、

もともと年の行かぬ諸君の読物としてこしらえたので、

そのことも許していただかれましょうか。

私としては、ただ少しでも平易な、

興味をもって読んでもらうことの出来る文章を書こうと、

その点に骨を折ったというにとどまります」

  以上からもうかがえるように、石亭伝としては、やや物足りない。
 他に、「考古学の先覚者たち(森浩一編)中央公論社刊」の中の

「石之長者 木内石亭(土井通弘)」がある。

  しかし、なんといっても、斎藤忠氏によって、

吉川弘文館の人物叢書として出ている伝記が本格的なものである。

その中に、次のような一節がる。

   「十一歳という年齢のときから石を愛し、

そのながい生涯を通して石に執心した。

『石よりほかに楽しみなし』とみずから語り、

晩年には、人がたずねてきても、

石よりほかに話をすることを禁じさせ、

その人を二日も三日も逗留させて、

石を見せ、石の話のみをなした」

 石亭は、さまざまな視点からの多様な石をあつめており、

石と人との関係について考察する事例として、このうえない人物である。

 木内石亭の著作をまとめたものとして、

昭和11年、下郷共済会発行の

「石之長者 木内石亭全集(中川泉三編)」があるが、

極めて入手が困難な書籍であった。 

 これまで、いろいろな古書店で、

注意深く探し続けてきたが、

なかなか出会うことができなかった。

ところが、ある古書のインターネット検索注文が、

きっかけとなって数年前から、

隔月に送って来て頂いている、

東京神田の中野書店発行

「日本の古本屋 在庫だより 古本倶楽部」の

昨年11月号(161号)で書名を発見し、

翌日、ためらうことなく朝一番に電話注文をした。

これまでも幾度か、

一寸の油断で、欲しい本の先を越されたことがあったので、

朝が待ち遠しくてならなかった。

 値段は、4万7千余円と、

いささか高価な買い物であったが、

この時は、躊躇することはなかった。

 毎度のことであるが、

翌日には配達された。

和綴じ形式の6巻本で、

函は、折り畳み様式となっている、

函に少しの傷があるだけの新品同然の書籍であった。

大いに満足した。

編者中川泉三氏の

大変な研究上の御苦労が随所に偲ばれる

見事な内容の本である。

全巻の目次を紹介しておきたい。

   第一巻(91頁)
     木内石亭伝
     総   論
     石亭の著書
       曲玉問答   百石図

   第二巻(104頁)
     石亭の著書
       奇石産誌   石亭二十一種珍蔵目録
       化石の四説  石 筌
       舎利之辨   龍骨辨
       鏃石伝記   天狗爪奇談
       木内家に存する蔵石一部分の目録

   第三巻(130頁)
     石亭の著書
       雲根志前編

   第四巻(150頁)
     石亭の著書
       雲根志後編

   第五巻(131頁)
     石亭の著書
       雲根志三編

   第六巻(131頁)
     石亭の交友と史料
      稀壽と賀詞
       大納言中山愛親卿寄詩
       大納言芝山持豊卿祝歌
       赤田臥牛翁賀詩
       二木長嘯翁画賛祝詞
       泉涌寺僧宏雲賀詩
       紀九老筆米元章拝石之図
       野村公臺の木内石亭銘
      諸国の交友
       西遊寺鳳嶺と諸国集記
       服部末石亭
       飛騨高山の二木俊恭と石亭の書翰三十七通
       石山寺畔の奇石会
       石亭茶道の懐中日記
       木内氏略系図
       石亭遺言状の一節
         付録 肥田崇徳寺の蔵石

 これから、時間をかけて、

この全集等を十分に読み込み、

木内石亭とは、いかなる人物であったのか、

わたしなりの解釈をおこなって、

いつの日にかまとめてみたい。

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2005年11月 7日 (月)

石と在る

2005年11月6日、今日から始める。

 「石」について書いているというか、少しでも触れている新旧の本を、                   長い間、蒐集し続けているが、
これから、それらを少しずつ紹介をしていきたい。

 2年前、書きためていた「石の随筆」を、
還暦記念として自費出版した。
その題名を「石と在る」とした。次の10編から成っている。
            1.「石想記」構想、
            2.自分の石、
            3.石に刻まれた妻、
            4.石と本、
            5.「石の来歴」随想、
            6.川原の石、
            7.人面石の祈り、
            8.石・自然・社会、
            9.石の随筆アンソロジー、
           10.石の夢

2005年11月7日(月)

 『「石想記」構想』の書き出しの部分を、以下に紹介させていただきます。

 人がよって立っているこの地球は、
言ってみれば「石」の集まりである。
山があり、島があり、磯があり、巌があり、
岩があり、石があり、小石があり、
砂があるというように表に出ている形はさまざまで、
その数量たるや無限である。

 実に、「石」ほどこの世に多いものはない。
このようなありふれた「石」に不思議を感じ、
また「石」に感謝し、「石」を畏敬することのできる者は、
現在では数少なくなってきたのではなかろうか。

 しかし、時代を遡るほどに、
それらの感情は大きなものであったに違いない。
「岩石が人間を作った(オークリー)」という金言があるほどである
           (「石の文化史 M.シャックリー 岩波書店」より)。

 これまでの私の石のエッセイシリーズの中で、
幾度か紹介したことのある、
「石の鑑賞 久門正雄 理想社」に収められている
最初の作品「愛石志」の冒頭の章「雲根」の中に、
「石」についての簡潔で、見事な表現の箇所があるので紹介しておきたい。

 「石に蔵する秘密も大いなるかな。
その生出天地と伴って永久不変、小は風塵と共にありながら、
大は地殻として山嶽河海を載せて漏すことなく、
万物を包蔵し一切生命の根元となる」

 「何れにしても岩石は、
釈名の『地は石を以て骨と為す』と言ふ通り、
この大地の骨骼であり地盤である。
石の異名を地骨といひ山骨といひ、
また山体といふのはその意である。
石は乃ち天地の骨である。
そして気がこれに寓るから雲根と云ったのは面白い」

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