巨石巡礼記(1-3)~奈良県山添村~
巨石巡礼記(1-3)
~奈良県山添村~
山添村の巨石巡礼記の最終回であるが、それに入る前に、4月21~22日のイワクラ学会全国大会2007~イワクラサミットin豊田~に、行ってきたことを報告しておきたい。実行委員長の中根洋治氏を中心とした関係者の、心のこもった準備が伺える内容であった。初日には佐藤光範氏のまとまった話が聞けたのも嬉しかった。二日目の現地視察は3台のマイクロバスに分乗しての豊田市内の巨石視察であったが、十分に堪能した。これについては、いずれ巨石巡礼記(2)としてまとめてみたい。“足助”という町を初めて知ったのも、大きな収穫であった。また、『続巨石信仰』が入手出来たのもよかった。それでは、以下、山添村の巨石巡礼記の最終回に入っていきたい。
目的を達したので、森林科学館まで帰って、中にあった、喫茶コーナーで冷たい飲み物を飲みながら、バスの出発まで待つことにしたが、この間、佐藤氏に、著書のこと等様々なお尋ねをした。そして、長い間、毎月一回「星と太陽の会」という名で、県内を中心に磐座巡りをされておられることを知り、仲間に加えていただくことにした。
そのうち、奥谷氏や山添村長窪田剛久氏も来られたので、山添村のことについていろいろとお話を伺った。豊かな自然と長い歴史を有する山添村の方々の、地域への愛着と誇り、自立心、おおらかな人間性を感じた。
空もかなり暗くなり、今日の宿泊場所へ行く時間となったので、ライトアップされて「天の川」を思わせる幻想的な情景となっている鍋倉渓を楽しんだ後、山添村遅瀬の名阪国道五月橋IC横にあるペンション「アートスコープはかた」まで、約二十数分車中の人となった。途中、山間を通ってのことなので、全くの闇の中であった。
八時を過ぎての、遅い夕食となり、そこで初めてお互いの自己紹介があった。そして、食事しながら、夜遅くまで「磐座」談義に花が咲いた。「鍋倉渓」の岩群に人の手が加わっているかどうかで、対立した意見交換もあり楽しかった。また、「鍋倉渓」類似の景観が、広島にもあるとの情報が、広島から来られた女性から寄せられた。一度、行って見たいものだと、強く思った。近年、早寝の習慣となっている私は、一足先に寝ることにしたが、国道の騒音が耳について寝苦しかった。朝も、食事後、昨夜に引き続き、話がはずんだ。佐藤氏が、磐座に関連させて「秦氏」、「物部氏」、「銅の生産」、「神社の系譜」等について、いろいろと該博な知識をもとにした意見を、述べられたのだが、悲しいかな、基礎知識のない私には、ついていけない話が多かった。その後、たまたま、以前購入していたが未読のままの谷川建一の「白鳥伝説」、「青銅の神の足跡」のページをめくっていて、佐藤氏の話の理解がやや進んだように思った。その後、関連の本の収集が始まった。
二日目の最初は、宿泊場所から遠くない中峰山の磐座群巡りであった。山というよりも起伏の多い、やや平地よりは小高くなった森といった感じであった。今回のツアーの一つの目玉ということであった。配布資料中の説明は以下の通りである。「山中のため案内がないと道に迷いかねない場所にありますが、イワクラの多様さでは村内随一。ギリシャ神話のアルゴー船のような舟岩、地蔵岩、球体石である手毬岩、UFO岩、太陽観測に使われたと思われる天狗岩、一対の男根石と女陰石、巨大な八畳岩、大神岩、その他名もない巨石、巨岩がゴロゴロあります」
三時間近く、山中を歩き回り、実に多くの岩を見た。最近になって、『山添村いわくら文化研究会』で、命名した岩もあり、まだ名前のついてない岩もあった。ここでも、最高齢と思われる佐藤氏が、いつも先頭で隅々まで調査され、ノートにメモされておられた姿が印象的であった。。その、研究熱心さとお元気なご様子に本当に驚いた。佐藤氏によれば、これらの岩が、磐座であったかどうかは、祭祀跡を確認する必要があるが、周辺を発掘調査すれば別だが、表面的には何もその痕跡が見つからないとのことであった。ただ、中峰山入り口付近にある舟岩は、今回、繁った草に覆われていて、はっきりとは確認できなかったが、祭祀のあった事実が明らかであるようだ。ともかく、今後、二度とくることは出来ないだろうと思われる貴重な経験をさせてもらった。
次に訪れたのは、中峰山地区内にある村内随一の社格を有するといわれる広い境内と立派な建物からなる「神波多神社」だった。小高い山か丘のような高い所にあり、見上げるような石段が続いていた。さすがに、皆、疲れており登るのをあきらめる人もいた。以下、ホームページ『山添村の聖石群』の中の、記載を引用する。
「神波多神社は山添村の中峰山地区の鎮守であるばかりでなく、村全体でも『波多の天王さん』として崇敬を集めている神社です。『天王さん』とは牛頭天王のこと。神波多神社の主祭神である素戔嗚命は牛頭天王と同神とされています。山添村では牛頭天王信仰が盛んですが、まさにその中心を担う施設といっても差し支えないでしょう。
神社の創建年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』に記載のある古社で、有力な説によると『延喜式』臨時祭のとき、畿内の境10ヶ所に祀った疫神のうち、大和国と伊賀国の境に祀られた疫神であるといわれています。牛頭天王はインドの疫神ですから、その牛頭天王を祀る神波多神社が大和国と伊賀国の境に祀られた疫神であることは確かなことと思います。よって神波多神社は、推測するに律令国家建設後に、畿内を護る疫神鎮座施設として設けられたものだと推測されるわけです。
しかし神社を設けようとした場所とは、その昔から聖域としてみなされていた所が選ばれることが多いようであり、当地もその痕跡として『鏡石』の存在が報告されています」
残念ながら、「鏡石」を見ることは出来なかった。佐藤氏は、「秦氏」との関連を指摘されておられた。
昼食を宿泊した「アートスコープはかた」でとり、十分に休息してから、まずは近くの「遅瀬の鏡石」と「遅瀬の亀石」を見に行った。そして、いよいよ、今回のツアーの最終地となる地点に向かって、バスに乗って行った。村のほぼ中心地あたりである。現在、山添村のイワクラのシンボル的存在となっている『長寿岩』である。「山添村イワクラMAP」には、次のように書いている。「直径7メートルのみごとな球体、推定重量約600トン。注目すべき点、それは赤道、子午線とおぼしき謎の『十字ベルト』がある」
しかし、この岩は、平成七年に、「ふるさとホール」、「保健福祉センター」、「花香房(はなこうぼう)」からなる「ふるさとセンター」建設のために、丘を切り開いているときに出てきたもので、あった位置も置かれていた姿も、元の状態とは違っているのである。建設の邪魔になるとのことで、当初、爆破してしまう予定であったが、費用がかかりすぎると言うことで残されたそうである。それが、現在山添村の最も知られた観光名所となっているのである。
皆さん、一角の産直センターや温室、花壇、遊歩道等がある約1ヘクタールの広さの「花香房(はなこうぼう)」で、大和茶等の農産物や、添加物を使ってない自然食品を、それぞれ購入して、一路、近鉄奈良駅に向かって帰ることとなった。帰り道は、月ヶ瀬街道で、途中、見事な家並みが見える柳生の里を通り抜けていった。
今回、見学したイワクラは、山添村のイワクラの一部である。その全貌に接してみたい方には、ホームページ『岩石祭祀提唱地』のなかにある、先に紹介した「山添村の聖石群」や、その総論となる「山添村の聖石文化」に、ぜひアクセスしていただきたい。圧倒されるような内容である。さらに、自称「なぞのアーテイスト『滝澤祐一』」のホームページ『Vocation』の中にある、「『滝澤祐一』的歴史探訪・謎解きのたび」中の、“「イワクラ」の謎に迫る 奈良県山添村「イワクラ」探訪記”をご覧いただきたい。
様々な人や、自然と文化に出会えた充実した2日間であった。やはり行って良かった。 これからは、書斎にばかり閉じこもらずに、もっともっと旅に出よう。(終わり)
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