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2007年4月10日 (火)

巨石巡礼(1-2)~奈良県山添村~

                  巨石巡礼記(1-2)
                                ~奈良県山添村~
                                       

 「六所神社」見学の後は、バスにかなりの時間揺られて、山添村の北東部に向かって行った。まずは、役場のある村の中心部周辺の下津地区(下西波多ともいう)にある「吉備津神社」を視察した。岡山の吉備津神社を分社したものであり、親近感が増してきた。
 山添村史に「当社は一大巨岩をご神体とし、拝殿はあるが、社殿はない。我が国神社の原始形態そのままを遺す神社で、古代人の自然崇拝の跡を伝えるものである」とあり、神社背後に近接して高さ約6m、幅約10mの立石状の巨岩があるが、容易には近づくことは出来ない。
 吉備津神社は端山の山麓にあるのだが、ホームページ『山添村の聖石群』によると、山添村では、各地で“山之神信仰”が見られ、木製祭具を供える祭祀儀礼が今でも残っているとのことで、同じような『山之神石碑』が各地に建てられているとのことである。端山では山腹にあるらしい。また、吉備津神社周辺には、北西に稲荷山があったり、たたり山といわれる山もあるそうだ。全体に犯してはならない聖なる地域となっているようである。

 吉備津神社の次は、村のより東部にあたる吉田地区の小字で岩尾というところにある「岩尾神社」に行った。村史の記載に、「当社は我が国神社の原始形態を遺存するもので、巨大大石がご神体である。古代人の大自然に対する畏敬から生じた信仰の表徴である」とあり、社殿裏にある二つの巨石は尋常ならざる大きさであり、圧倒的な威力を感じる。社殿から見て、左が『長持石』、右が『つづら石』とも称されているとのことである。近づいて、直接岩に触れることが出来た。
 前記のホームページ『山添村の聖石群』によれば、「社殿の右手前にも、2体の半球状の岩石が残っています。向かって左側が『鏡台』、右側が『ハサミ』とされています。他にも、神が休憩の際に水を飲んだという『石の水鉢』、『箪笥(タンス)石』、『葛石』などが残っているように、この神社に存在する全ての聖石は、集落の伝える『婿入り伝説』に基づくネーミングです。(中略)ところで、岩尾神社では『石売り行事』という奇祭があるそうです。内容はというと、16歳以下の少年が川原で拾った小石を参拝者が買い求め、その小石を神前に備えるという儀礼です。石を媒体にしている点、興味深い岩石祭祀事例の1つとして考えていきたいと思います」とあるように、『岩』の名の付く神社には、その土地の人々に、石に対する畏敬の心をさまざまな形で伝え残してきているようである。これらの文化は、私が住む地域にもあるはずであり、廃れさすことなく、継承していかなければならないとの思いが大いに高まった次第である。

 神社の発生に、いわくら(磐座)が密接に関係していることを、まざまざと実見して納得し、一日目の最後の見学先である、神野山の中腹にある森林科学館前広場で行われる「七夕のつどいin鍋倉」に向かったが、途中春日小学校旧講堂を活用した「山添村歴史民族資料館」を見学し、縄文時代草創期(今から12000年前)の遺跡からの発掘品等を見て、この地に人が住み始めてからの悠久の時の流れをに思いを馳せた。
 さらに、途中の道路脇にあった、菅生地区の「三枚岩」にも立ち寄った。一度みると妙にあとあとまで印象に残る形である。ごくちいさな丘の上に板状の立石が3枚重なり合ってたっている。由来等余りしっかりしたものはないようであるが、小さな祠はあるので、聖域であることには違いないようである。
 五時半頃から始まった「七夕のつどいin鍋倉」の主催者代表を奥谷氏が務めているらしく、開会あいさつをされたり、いそがしそうであった。コンサートや子どもたちによる民話、星空観察が行われ、いろいろの食べ物も売られていた。七時半まで自由行動ということになっていたので、わたしは、ひとりで、森林科学館からは少し離れたところにある「鍋倉渓」に向かって散策することとした。途中、道沿いに石造物である「塩瀬地蔵」や磐座と思われる「大師の硯石」があった。
   「鍋倉渓」についての山添村のホームページの記載は次のようである。「山の東北の中腹には、大小の黒々とした岩石がるいるいと重なりあい、幅10m、長さ650m余りにわたって溶岩のながれを思わせる奇勝『鍋倉渓』がある。この黒い岩石は角閃斑糲岩(かくせんはんれいがん)と呼ばれ地形、地質学上、他に類を見ない珍しい景観をなしている」確かに、何とも言いようのない感動が沸いてきた。
 沢山の人が、ライトアップにむけて、太陽電池による発光灯を、鍋倉渓の全域に設置している最中であった。耳を澄ますと、水音がしており、石の下をかなりの水量の水が流れているらしい。
 鍋倉渓に沿って作られている山の斜面の歩道を、上に登っていったが、足も疲れてきたので、途中で引き返して帰ろうとしたとき、下の方から上がってくる人影が見えた。今回のツアー参加者の一人であった。その方の言によれば、鍋倉渓の上端に磐座があるらしいということで、登り切ることの誘いを受けたのでご一緒した。私よりはるかにご高齢のようだが、足取りは軽くどんどん登って行かれる。そして、歩きながら磐座にまつわる様々な話をしてくださる。
 この方が、岡山から来られている『佐藤光範』氏であった。奇遇であった。「愛知発、巨石信仰」で取り上げた、平成十一年の三月に岡山市内のある古書店で手に入れた「古代祭祀跡 吉備の磐座」の著者である。
 とうとう、鍋倉渓の上端にあった「天狗岩」まで、たどり着いたのであるが、佐藤氏は、祭祀跡の痕跡等について、それはそれは丹念に岩の周囲を歩かれて調査された。ところで、鍋倉渓周辺には、この天狗岩をはじめ、八畳岩、竜王岩、王塚等があるらしいが、先に紹介した柳原輝明氏は、これらが天の川の主要な星々に対応しているのではないかとの仮説を出されている。鍋倉渓は、一見、天の川のような形にも見えるのである。さらに神野山の他地区にある磐座群も重要な天の星に照応し、あたかも神野山は天球のようになっているとの説を述べておられる(『神野山と天空の星』“イワクラ~巨星の声を聞け~”イワクラ(磐座)学会・編著 遊絲社所収)。古代のロマンが感じられる。
                                               (次回に続く)

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2007年4月 5日 (木)

巨石巡礼(1-1)~奈良県山添村~

          巨石巡礼記(1-1) ~奈良県山添村~                              

 一昨年末、インターネットで、『石』に関するホームページを検索中に、たまたま「イワクラ(磐座)学会」のあることを知った。入会申し込みをしたのは、昨年7月3日である。早速、入会の了承通知と、少し経ってからツアーの案内のはがきが届いた。

 しばらく行くかどうか思案したが、書斎に閉じこもるだけでなく、新たな世界へ一歩踏み出すのも良いことではないかと思い直して、締め切りの日、電話で参加申し込みをした。 8月5日(土)午後1時、近鉄奈良駅近くの商工会議所前が集合場所であった。駅の地下で、おいしかった和食の昼食を済ませ、地上に出たが、焼けつくような陽射しであった。近くに興福寺があるらしかったが、時間もなく見学はできなかった。さすがに観光地奈良だけあって、たくさんの観光客で賑わっていた。

 わたしが最初に到着したが、次第に参加者らしい人が集まってきた。そして、定刻頃に、今回の世話人である山添村いわくら文化研究会会長の奥谷和夫氏(村議)が仕立てた山添村からのマイクロバスがやってきた。 総勢12名(男11名、女1名)によるツアーとなった。後からわかったことであるが、東は神奈川県、西は広島県からの参加があり、岡山県からは私を含め3名であった。

 最初、資料をもとに奥谷氏から、手短なツアーの趣旨と日程の説明があったが、あとは隣り合わせの人との会話を楽しみながらの旅となった。バスの最後部に座った私の隣は、神奈川県からの40歳前後と思われる歴史に詳しい男性であった。相当に、全国の巨石巡りをされているように思えた。

 バスは木々の繁る細い山道を数十分曲がりくねりながら進み、山添村に入っていった。  古くは東大寺領だったといわれる山添村は、昭和31年に東山村、波多野村、豊原村の三村合併で出来た村であるが、近年の全国的な市町村の合併ブームの中で、近隣の町村が奈良市等と合併する中で、住民投票によって、今後とも自立の村づくりを進めていくことを選択した村である。奈良県の北東部、三重県との県境に接し、人口約4600人、面積66平方キロメートルで、周辺は奈良市、宇陀市、伊賀市、名張市に囲まれている。村の中央を名阪国道(国道25号線)が通り、大阪まで約1時間、名古屋まで1時間半の距離にある。 村内には、神野山(標高約六百十八メートル)、茶臼山(約五百三十五メートル)、高塚山(約五百七メートル)という3つの代表的な山がある。他にも多くの山々があり、村は、全体的に山間の多数の集落からなっているようで、広々とした平地は、ほとんどみられず、あちらこちらにある山または丘の斜面を利用した茶畑の多さに驚いた。そして、それが茶畑特有のおだやかで美しい景観を呈し、村の風景を至極好ましいものとしていた。とれた茶は、宇治茶にも原材料を提供しているようだが、多くは高級な大和茶となっているとのことである。 

 ところで、山添村では、「いわくら文化」再興を通じて、ひとつの村おこしをしているようにも感じられたのであるが、この、きっかけを作ったのは、現在「イワクラ(磐座)学会」の専務理事をされておられる都市計画家柳原輝明氏が、山添村の村づくりの基本となる総合計画に関わりをもたれたことにあるようだ。

 氏の略歴を記した一文につぎのような一節がある。「総合計画策定のおり、村内に点在する巨石に惹かれる。特に神野山に存在する巨石群と天空の星との相関関係を偶然発見し、イワクラ研究にのめりこむ(『イワクラ~巨石の声を聞け~ イワクラ(磐座)学会・編著 遊絲社』より)」 

 山添村では、以前平成15年11月22日から24日にかけて、第四回イワクラサミットが開催されたのであるが、ふるさとセンターのホールに立ち見が出来るほどの参加者で500名を超える人々が全国各地からやってきたということだ。当日のことはホームページ「イワクラ学会関連情報」や「磐座みい~つけた新聞」等で詳細を知ることが出来る。 

  ここで、すこし、イワクラ(磐座)学会の沿革に触れておきたい。イワクラサミットは、平成11年に岐阜県山岡町で第一回がもたれ、平成12年第二回を高知県土佐清水市、平成13年第三回は福島県飯野町で開催されている。4回のサミットを経て、平成16年5月に『イワクラを世に広め、古代の民族遺産であるという認識を得るために、さらには世界の共通語としていくための活動をする目的』で、奈良県新公会堂で400名の参加者を得てイワクラ(磐座)学会創立記念大会が開かれ、昨年は、7月16~17日に宮崎県立西都原考古博物館で総会が行われた。本年の総会は、三重県鳥羽市で5月27~28日に開催されている。

 さて、山添村のイワクラ(磐座)についてであるが、ホームページ『山添村いわくら文化研究会』に大字名・名称・写真・解説・備考という整理の仕方で、紹介されているのでご覧いただきたい。 山添村の磐座については、他のホームページ(『山添村の聖石群』)に、さらに詳細な報告がある。

 いよいよ、今回のツアーに入っていきたい。平成15年のサミットの2日目と3日目に行われた現地視察の対象地とできるだけ重ならないような配慮をし、①イワクラと神社の発生、②中峰山のイワクラ群,③神野山と鍋倉渓のライトアップの3点に主眼を置いたコースを計画したとのことであった。 まず、最初に訪れたのは、「天王の森」で、奈良市から山添村に入って、まもなくのところにあった。山添村の西端を流れる布目川につくられた布目ダムの上流の端に位置し、ちょうど橋のたもとにあった。約20メートル位の小山で、ダムもなく橋も作られていない時代には、頂上部にある数個の巨岩を川沿いの道から仰ぎ見るような形になっていたはずであり、信仰の対象として威厳もあったであろうが、現在は、頂上がほぼ橋の高さと同じになってしまい、山も一部が橋の橋梁部分に取り込まれているようで、景観が大きく損なわれてしまっていた。 配布資料には、「山添村史」の中にある以下のような一節が紹介されていた。「一種の巨岩崇拝と考えられ、山頂の巨石群に牛頭天王を勧請したので天王の森と呼ばれ、古くから神聖禁忌の地である」山添村には、各地に、牛頭天王を祭る場所があるらしい。

 次に行ったのは、「水神の森」で、先ほどの橋を逆戻りに歩いて渡り、布目川沿いを数十メートル上流に行った所である。同じく配布資料に「村史」の、その箇所を抜粋して載せてくれていた。 「布目川の中にあり、原生林に覆われた周囲100メートルの島である。下流には八丈岩と称する約17メートルの自然石による遙拝所がある。(中略)地域を水害から守るため水鎮の神として祭祀されたもので、近郊の信仰を集めており、毎年一回(7月)水神さん祭りが催され、近郷住民の憩いの場となる」 残念ながら、あたり一面大きな岩がゴロゴロしており、八丈岩を確認する所まで近づくことができなかったし、周囲の明確な島というような感じを抱くことも出来なかった。ただ川の中に、鬱蒼とした森はあったが、周囲の山と渾然一体となっているようにも見えた。

 次に向かったのは「六所神社」であるが、バスで、曲がりくねりながら非常に細い山道を登っていった。六所神社も、先の天王の森や水神の森と同じ大字峰寺地内である。六所神社は、氏神山を背後にかかえ、本殿が磐座(いわくら)と思われる巨石の上に建てられているのが特徴で、『延喜式』の天乃石吸神社ではないだろうかとも言われている。神社の成り立ちが納得できる形式である。境内には、磨崖仏の「毘沙門天像」や「不動明王」、「お百度石」「金毘羅碑」「行者石像」「観音石仏」「地蔵石仏」などの多数の石造物があるらしい。「山添村史」の内容は以下の通りである。「昔、神の降臨された巨岩をご神体としたが、後世その上に社殿を造営したといわれる。(中略)境内には、牛頭天王を祭る杵築神社、弁財天を祭る宗像神社、戎子大明神を祭る恵比寿神社などがある。巨岩に刻みつけられた不動明王像(建武5年=1338)は村指定文化財である」 (次回に続く)

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2007年4月 1日 (日)

再 開

再 開

 3番目の孫との、夢のような楽しい1年間が過ぎた。数日前から、また独り暮らしとなった。長男の勤務の都合で、彼らは、隣接する市に移り住まざるを得なくなったためである。

 大変、寂しくなったが、時間だけは、たっぷりと生まれた。これから、2年後の定年に備えて、仕事のまとめをするとともに、定年後の人生設計をしっかりと進めたい。その前に、5年前に亡くなった妻の思いで集を、早く本にしなければならない。
  本年の最大の楽しみは、現在、宅地の一角に建設中の書庫への、これまでに収集した本の大移動である。「石想文庫」の看板を架けようようかなどと考えている。年末までに、すこしずつ移していきたい。

   ところで、昨年は、7月に『イワクラ(磐座)学会』に、思い切って加入したことが契機となって、『巨石巡礼』の機会が増えた。このことについては、このブログで、これから順次、紹介していきたい。
 以前、『愛知発、巨石信仰』という本を紹介したことがあるが、今月4月21日~22日に、この本の作者等が中心となって、「イワクラ(磐座)学会全国大会2007~イワクラサミットin豊田」が行われる。初日は、豊田産業文化センターで「巨石文化研究発表会」が開催され、2日目は豊田市と周辺の巨石をマイクロバスで見学する。
   私は、早速に参加申し込みを行ったところである。待ち遠しくてならない。

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