巨石巡礼(1-2)~奈良県山添村~
巨石巡礼記(1-2)
~奈良県山添村~
「六所神社」見学の後は、バスにかなりの時間揺られて、山添村の北東部に向かって行った。まずは、役場のある村の中心部周辺の下津地区(下西波多ともいう)にある「吉備津神社」を視察した。岡山の吉備津神社を分社したものであり、親近感が増してきた。
山添村史に「当社は一大巨岩をご神体とし、拝殿はあるが、社殿はない。我が国神社の原始形態そのままを遺す神社で、古代人の自然崇拝の跡を伝えるものである」とあり、神社背後に近接して高さ約6m、幅約10mの立石状の巨岩があるが、容易には近づくことは出来ない。
吉備津神社は端山の山麓にあるのだが、ホームページ『山添村の聖石群』によると、山添村では、各地で“山之神信仰”が見られ、木製祭具を供える祭祀儀礼が今でも残っているとのことで、同じような『山之神石碑』が各地に建てられているとのことである。端山では山腹にあるらしい。また、吉備津神社周辺には、北西に稲荷山があったり、たたり山といわれる山もあるそうだ。全体に犯してはならない聖なる地域となっているようである。
吉備津神社の次は、村のより東部にあたる吉田地区の小字で岩尾というところにある「岩尾神社」に行った。村史の記載に、「当社は我が国神社の原始形態を遺存するもので、巨大大石がご神体である。古代人の大自然に対する畏敬から生じた信仰の表徴である」とあり、社殿裏にある二つの巨石は尋常ならざる大きさであり、圧倒的な威力を感じる。社殿から見て、左が『長持石』、右が『つづら石』とも称されているとのことである。近づいて、直接岩に触れることが出来た。
前記のホームページ『山添村の聖石群』によれば、「社殿の右手前にも、2体の半球状の岩石が残っています。向かって左側が『鏡台』、右側が『ハサミ』とされています。他にも、神が休憩の際に水を飲んだという『石の水鉢』、『箪笥(タンス)石』、『葛石』などが残っているように、この神社に存在する全ての聖石は、集落の伝える『婿入り伝説』に基づくネーミングです。(中略)ところで、岩尾神社では『石売り行事』という奇祭があるそうです。内容はというと、16歳以下の少年が川原で拾った小石を参拝者が買い求め、その小石を神前に備えるという儀礼です。石を媒体にしている点、興味深い岩石祭祀事例の1つとして考えていきたいと思います」とあるように、『岩』の名の付く神社には、その土地の人々に、石に対する畏敬の心をさまざまな形で伝え残してきているようである。これらの文化は、私が住む地域にもあるはずであり、廃れさすことなく、継承していかなければならないとの思いが大いに高まった次第である。
神社の発生に、いわくら(磐座)が密接に関係していることを、まざまざと実見して納得し、一日目の最後の見学先である、神野山の中腹にある森林科学館前広場で行われる「七夕のつどいin鍋倉」に向かったが、途中春日小学校旧講堂を活用した「山添村歴史民族資料館」を見学し、縄文時代草創期(今から12000年前)の遺跡からの発掘品等を見て、この地に人が住み始めてからの悠久の時の流れをに思いを馳せた。
さらに、途中の道路脇にあった、菅生地区の「三枚岩」にも立ち寄った。一度みると妙にあとあとまで印象に残る形である。ごくちいさな丘の上に板状の立石が3枚重なり合ってたっている。由来等余りしっかりしたものはないようであるが、小さな祠はあるので、聖域であることには違いないようである。
五時半頃から始まった「七夕のつどいin鍋倉」の主催者代表を奥谷氏が務めているらしく、開会あいさつをされたり、いそがしそうであった。コンサートや子どもたちによる民話、星空観察が行われ、いろいろの食べ物も売られていた。七時半まで自由行動ということになっていたので、わたしは、ひとりで、森林科学館からは少し離れたところにある「鍋倉渓」に向かって散策することとした。途中、道沿いに石造物である「塩瀬地蔵」や磐座と思われる「大師の硯石」があった。
「鍋倉渓」についての山添村のホームページの記載は次のようである。「山の東北の中腹には、大小の黒々とした岩石がるいるいと重なりあい、幅10m、長さ650m余りにわたって溶岩のながれを思わせる奇勝『鍋倉渓』がある。この黒い岩石は角閃斑糲岩(かくせんはんれいがん)と呼ばれ地形、地質学上、他に類を見ない珍しい景観をなしている」確かに、何とも言いようのない感動が沸いてきた。
沢山の人が、ライトアップにむけて、太陽電池による発光灯を、鍋倉渓の全域に設置している最中であった。耳を澄ますと、水音がしており、石の下をかなりの水量の水が流れているらしい。
鍋倉渓に沿って作られている山の斜面の歩道を、上に登っていったが、足も疲れてきたので、途中で引き返して帰ろうとしたとき、下の方から上がってくる人影が見えた。今回のツアー参加者の一人であった。その方の言によれば、鍋倉渓の上端に磐座があるらしいということで、登り切ることの誘いを受けたのでご一緒した。私よりはるかにご高齢のようだが、足取りは軽くどんどん登って行かれる。そして、歩きながら磐座にまつわる様々な話をしてくださる。
この方が、岡山から来られている『佐藤光範』氏であった。奇遇であった。「愛知発、巨石信仰」で取り上げた、平成十一年の三月に岡山市内のある古書店で手に入れた「古代祭祀跡 吉備の磐座」の著者である。
とうとう、鍋倉渓の上端にあった「天狗岩」まで、たどり着いたのであるが、佐藤氏は、祭祀跡の痕跡等について、それはそれは丹念に岩の周囲を歩かれて調査された。ところで、鍋倉渓周辺には、この天狗岩をはじめ、八畳岩、竜王岩、王塚等があるらしいが、先に紹介した柳原輝明氏は、これらが天の川の主要な星々に対応しているのではないかとの仮説を出されている。鍋倉渓は、一見、天の川のような形にも見えるのである。さらに神野山の他地区にある磐座群も重要な天の星に照応し、あたかも神野山は天球のようになっているとの説を述べておられる(『神野山と天空の星』“イワクラ~巨星の声を聞け~”イワクラ(磐座)学会・編著 遊絲社所収)。古代のロマンが感じられる。
(次回に続く)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント