『川原の石(1)』
川原には、多くの人を惹きつける
心のふる里としての形容しがたい魅力がある。
これは、自然への素朴な本能的欲求と、
幼い時からの、
さまざまな生活体験上の
悲喜こもごもの思い出の集積による、
人それぞれの
川原に対する
熱い想いがないまぜあって形づくられているに違いない。
そして、
人は、
時々、
思い出したように、
手近な川原に足を向けていく。
街が人工的に、
すこぶる乱雑に都市化を進めている中で、
一日のほとんどを
社会的人間として忙しく働き続け、
また終日、
自然から遮断された生活で
息苦しくなって、
生き物としての自分自身を、
本能的に取り戻したくなることや、
ありし日、
川原で経験した、
牧歌的ともいえる夢をみることの出来た時代に想いを馳せて、
明日からの生きる力を回復しようとしているのではないだろうか。
ところで、私にとっての『川原』とは、
岡山県内を流れる三大河川のひとつで、
もっとも西側に位置する
高梁川に架かる総社大橋の下、
南北約数百メートルに広がる空間である。
ここは、
高梁川が、
中国山地の山奥に源を発してから、
延々と吉備高原の間を流れ下ってきて、
始めて総社平野に注ぎ出してきたところ(湛井堰)から、
少しだけ下流の広大な河川敷にある。
ここで、
「岡山県地学のガイド〜地学のガイドシリーズ十一〜(コロナ社刊)」によって、
高梁川の全体像について少しばかり知っておきたい。
高梁川は、
旭川が壮年の働き盛りで、
吉井川が働き盛りを過ぎた中年であるに反して、
元気なテイーンエージャーであるといわれ、
三つのなかで、最も短く、
延長約百十キロメートル
(ちなみに旭川百四十七キロメートル、吉井川百三十六キロメートル)
であるが、
支流の数は四十四(旭川三十四、吉井川四十三)と
もっとも多くなっている。
そして、ひいき目でなく、
川沿いの景観の変化に富んだ面白さは、
一番ではないだろうか。
また、ほぼ伯備線にそって流れているので、
かなりの景色は汽車の中からでも見学できるのが利点といえる。
【なお、日本文教出版株式会社の岡山文庫59「高梁川」では、川の延長と四次ま
での支流数は、高梁川百十七キロメートル・八十四本、旭川百五十キロメートル・百
三十二本、吉井川百三十七キロメートル・百九十八本で、人間の年令にたとえた活動
力はそれぞれ三十才台、四十才台、五十才台となっている。そして、高梁川は流域面
積は最も広く、縦断面のうわぞり角度も最も大きいと記されている】
この、私にとっての「川原」の風景が
いまや、
子供時代とは一変してしまっている。
これは、
全国どこの河川敷でもみられる現象ではないかと思われるが、
覆土されて整地がすすみ、
十分すぎるほどの面積をとった、
殺風景で広々した、
グランドができ上がり、
川原の部分が随分と小さくなってしまった。
休日などには、
沢山の子供たちがサッカーや野球の試合などをして、
にぎやかにしている姿をよくみることが出来る。
このこと自体は歓迎すべきことであるが、
なつかしい風景に二度と会えないかと思うと
一抹の淋しさを覚える。
また、遊び仲間でもあった
バッタやキリギリスをはじめとした、
多種多様の昆虫や、ひばり、ツバメなどの野鳥等の
棲息環境をせばめてしまったことにもなる。
いろんな種類の美しく清楚な野草も
生き延びることが困難になったとみえて、
めっきり少なくなった。
ほどほどの開発で止めていただければと願うばかりである。
さて、ここで
“川原”の意味するところについて考えてみたいが、
「川の両岸の、
いつもは水の流れていない砂や石の多い平地
(日本語大辞典 講談社刊)」
という解釈がとりあえず一般的とみなしておきたい。
ただ、全国各地に散在している
いわゆる『賽(さい)の河原』といわれているところは、
実在の川が流れていないところも多い。
死者供養の聖域となっている『賽の河原』は、
「・・・彼のみどりごの所作として
河原の石をとり集め
ここにて回向の塔を組む
一重くんでは父のため
二重くんでは母のため
三重くんではふる里の・・・・・」
というあの哀切きわまりない
「西院の河原(地蔵)和讃」とともにひろまっていったといわれる。
「石の民俗(野本寛一著 雄山閣刊)」によると
一 火山系で地獄を連想させるような場所
二 死者が赴くと信じられる山
三 灯籠流しなどが行われる実際の河原
四 境意識が高揚され、他界との境を連想させられるよ
うな峠あるいは峠道
五 特定寺院の境内
などに場所が分類できるという。
本当の川は流れていなくとも、
死者の住む他界とこの世(此界)の境界にあって、
穢れをはらうとされる仮想の精進川、
もしくはあの世の三途川が
根っこに想定されているのではないだろうか。
なお、「石の宗教(五来重著 角川書店刊)」で、
柳田国男の「地名の研究」の中にあげられている、
石のごろごろとした石原に対して
各地に「こうら、こうろ」
あるいは「ごうら、ごうろ」の地名があることを紹介し、
こじつけではあるがとしたうえで、
必ずしも川と関係なくとも
『賽の河原』という呼称が
生まれてきたことを暗示しているのも興味深い。
ともかく、
ここで欠かせないのは
『積石』のための沢山の石ころがあることである。
五来重氏は、
「石の宗教」の中で、
『積石』は
「仏教的な意味は、“石を積みて塔とする”ということにあるけれども、
日本人の原始信仰なり、
庶民信仰ではすこしちがうのである」とし、
「“あの世”と“この世”の境界に積石をして、
穢れが“あの世(神域)”へ入らないようにする」ことであるといい、
『賽の河原』の『賽』は、
『塞』と考え、
穢れや悪霊をさえぎっているのであると述べている。
私たちが、神社仏閣はいうに及ばず、
山や川、森や海や洞窟などの自然に接したときなど、
そこに石ころがあれば、
おのずから積んでみたくなる
日本人としての心を大切にしたいものである。
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投稿 Giovanni | 2007年3月27日 (火) 07時02分