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2006年1月26日 (木)

『川原の石(2)』

 『川原の石』を続けていきたい。
 
 幼児期、
川原の方面は未知なる奥地であったが、
小学・中学生時代は
自然の楽園となった。
 そして、
受験勉強の重圧に敗れそうになった高校生活においては、
孤独を癒してくれる場所であり、
異郷で過ごした大学生の間は、
ふる里を象徴するところとなった。
 卒業後、
地元に帰って、
社会人となり結婚して子供をもうけてからは、
親子のよきふれあいの場と変わった。
 現在は、
すべての子供が自立してしまい、
自分自身の
人生観、
世界観、
宇宙観の立脚点としての
豊穰な場所に育てあげたいとの想いが
年と共に強まってきている。
 
 子供時代、
河川敷はほとんど石ころだらけの川原といってもよいような状態だった。
当時、
夏の水泳といえば、
まだプールなど無い時なので、
高梁川によく泳ぎにいったが、
一息いれるため川からでて、
川原に上がったときの、
太陽に熱せられて焼けたようになった石ころの、
素足に感じた灼熱感が強烈に体いっぱいに刻まれている。
 熱くて熱くて、
足の裏を出来るだけ縮め膝を曲げて、
しかも早足で動き回らないと、
とても一所にはとどまれなかった。
一目散に草むらに駆けこんで、
座り込み疲れを癒しては、
繰り返し水の中に入って泳ぎ、
疲労困憊してから、
川原の石を踏み踏み家路に帰っていく姿が目に浮かんでくる。
 今から考えると急流も深みもある高梁川で、
本当に子供らだけでよくも、
泳ぎに行っていたものだ。
また、
友達との、
“水きり”という石投げ競争を盛んに行った。
平べったい手ごろな石ころをさがして、
水面との微妙な角度で投げ、
石が沈まず何度飛び跳ねていくか、
技を競いあった思い出も遠い昔のことになった。
 物の豊かさとは全く縁の無かった時代、
身近な川原という自然が子供に楽園を提供してくれていた。

 一方、その頃、
すべてを失って、
外地から引き揚げてきた祖父母や父母たちの苦労は、
子供心にもなにとはなく伝わってきていた。
 家だけは、
曾祖父がひとり、
先祖伝来のこの土地で守ってくれていたおかげで困らなかったが、
8人の大家族で
内3人の子供を育て上げることは大変なことだったにちがいない。
 皆が、
寡黙に、
朝から夜遅くまで、
それぞれの役割を懸命に果たして働いているのがよくわかった。
食べ物だけは、
自給自足に近い形に出来るよう、
親類から田畑を借りたり、
その上、
川原を開墾し畑にしていた。
 砂と石ころだらけの土地を耕して、
野菜作りをしていくことは、
慣れて無い仕事でもあり厳しい労働であったに違いない。
私たち子供は、
無邪気に芋などの野菜の収穫や石ころを掘り出すのを手伝ったり、
作業の合間には、
川原の石と雑草の中の雲雀の巣さがしや、
いろいろな昆虫やかれんな野草を見つけることに夢中になった。
夢幻のかなたの追憶である。

 さて、
現在の川原はすでに述べたように、
昔に比べると、
まことに小さくなってしまったが、
それでもまだ少しは残っている。
そして、
この場に“宇宙”を見ることが出来るようになったことについて、
最後に書いて見たい。
 季節の節目節目に、
川原に出かけていくと、
その石ころ群の間にどっかりと尻餅をついて、
石達との距離を小さくし、
ゆっくりと時間をかけて、
周囲の石達に目を凝らしていると、
形・大きさ・色・模様・重さ・肌触りなどから
一つとして同じものはない石達が、
この狭い場所に無限に存在する重みが迫ってくる。
 見えている表面だけでなく、
どこまで続くかわからない
暗い地下にじっとしている
石ころにも想いを廻らすと
宇宙的無限を感じる。
 まして、いまある姿になるためには、
気の遠くなるような時が経過しているわけである。
石ひとつを、
ひとつの星になぞらえてみれば、
まさしくこの川原は広がりつつある岩石群という宇宙の一部である。
 「石ころから覗く地球誌(小出良幸著 NTT出版刊)」
という本があるが、
そこでは、
長い長い時間をかけて上流から運ばれてきた
丸い石ころの履歴書を明らかにし、
故郷を探していく道筋をわかりやすく解説している。
さらに、
大地をつくる元素や地球の構造、
太陽系の始まり、
星の始まりなどの話に及んでいて、
石ころから壮大な宇宙的気分を味あわせてくれる。
 
 もうひとつ
「かわらの小石の図鑑〜日本列島の生い立ちを考える〜
(千葉とき子・斎藤靖二著 東海大学出版刊)」
という図版の非常に美しい本があるが、
三本の川(荒川・多摩川・相模川)の代表的な小石を写真で紹介し、
その性状について解説を加えている。
分析的な石の科学の深みに入っていこうという気持ちは毛頭ないが、
石と親しくなるためには、
名前程度は知っておきたい。
しかしこれが、
石においては意外に難しい。
川原の石は、
一見するだけでは、個性もなく皆似たようなところがある。
 ところが、
この本は、
取り上げている石の種類の適度さと写真の鮮明さ、
説明文の
わかりやすさで、
何となく同じ日本の川の仲間である
高梁川の石ころの多くについても、
その生い立ちを示す名称が分かってきたような気持ちにさせ、
石ころ星雲への親近感を増してくれる。
 
 「岡山県地学のガイド」の“まえがき”の冒頭に
「岡山県には、
古生代から新生代までのいろいろな時代の地層や各種の火成岩体、
あるいは変成岩類がきわめて豊富に分布しており、
昔から地学のメッカといわれ、
多くの学者や研究者が訪れています。・・・・・」と書かれているが、
中でも、
高梁川上流には
鐘乳洞と渓谷美の石灰岩台地や
世界的に有名な成羽の化石産出地帯はじめ
面白い多様な地質がみられる。
 そこの母岩等から分かれて長い時を経て、
流れ流れて下流の川原に集まっている小石達から、
流域全体はいうに及ばず、
地球の成り立ちや
宇宙の本質についてまで想いに耽ることが出来るのは、
なんと幸せなことではないだろうか。
 さらに、
特定の空の星が
自分に向けて
メッセージを投げかけてくれているように思えるときがあるように、
川原の石ころも、
よくみつめていると、
そのなかの一つが
私にとって特別な存在となる出会いに遭遇することがある。
 
 地球は、
大宇宙の無数の星のひとつで、
極めて単純化していえば、
巨大な母岩を核にして、
それから派生してきた岩石群や宇宙からの隕石の集合体であり、
そのうえに、
そこから発生した水や大気、
生物が付属しているといえる。
 そして一人一人の人は、
地球の上の極微な存在だが、
逆に大宇宙の中では、
地球も微塵にすぎないとみなせる想像力があり、
又、
一個の川原の石ころから
宇宙の生成をも夢想することができる力を持っている。
 私は、
遠くない将来やってくる老後の安心立命に向けて、
これからも私の川原で石を積みながら、
そこを
豊穰な
地球大的・宇宙大的空間のイメージへと
膨らませていきたいと思っている。
 いずれ、
果てしない生物の生と死は勿論、
星々の誕生と死をも一切を飲み込む込んでしまう限りない宇宙と、
私自身が
一体であることを
確かに信じることが出来るようになれるかもしれない。
                 
 

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2006年1月25日 (水)

『川原の石(1)』

 川原には、多くの人を惹きつける
心のふる里としての形容しがたい魅力がある。
 
 これは、自然への素朴な本能的欲求と、
幼い時からの、
さまざまな生活体験上の
悲喜こもごもの思い出の集積による、
人それぞれの
川原に対する
熱い想いがないまぜあって形づくられているに違いない。
 
 そして、
人は、
時々、
思い出したように、
手近な川原に足を向けていく。
 
 街が人工的に、
すこぶる乱雑に都市化を進めている中で、
一日のほとんどを
社会的人間として忙しく働き続け、
また終日、
自然から遮断された生活で
息苦しくなって、
生き物としての自分自身を、
本能的に取り戻したくなることや、
ありし日、
川原で経験した、
牧歌的ともいえる夢をみることの出来た時代に想いを馳せて、
明日からの生きる力を回復しようとしているのではないだろうか。
 
 ところで、私にとっての『川原』とは、
岡山県内を流れる三大河川のひとつで、
もっとも西側に位置する
高梁川に架かる総社大橋の下、
南北約数百メートルに広がる空間である。
 ここは、
高梁川が、
中国山地の山奥に源を発してから、
延々と吉備高原の間を流れ下ってきて、
始めて総社平野に注ぎ出してきたところ(湛井堰)から、
少しだけ下流の広大な河川敷にある。
 
 ここで、
「岡山県地学のガイド〜地学のガイドシリーズ十一〜(コロナ社刊)」によって、
高梁川の全体像について少しばかり知っておきたい。
 高梁川は、
旭川が壮年の働き盛りで、
吉井川が働き盛りを過ぎた中年であるに反して、
元気なテイーンエージャーであるといわれ、
三つのなかで、最も短く、
延長約百十キロメートル
(ちなみに旭川百四十七キロメートル、吉井川百三十六キロメートル)
であるが、
支流の数は四十四(旭川三十四、吉井川四十三)と
もっとも多くなっている。
 
 そして、ひいき目でなく、
川沿いの景観の変化に富んだ面白さは、
一番ではないだろうか。
また、ほぼ伯備線にそって流れているので、
かなりの景色は汽車の中からでも見学できるのが利点といえる。
 【なお、日本文教出版株式会社の岡山文庫59「高梁川」では、川の延長と四次ま
での支流数は、高梁川百十七キロメートル・八十四本、旭川百五十キロメートル・百
三十二本、吉井川百三十七キロメートル・百九十八本で、人間の年令にたとえた活動
力はそれぞれ三十才台、四十才台、五十才台となっている。そして、高梁川は流域面
積は最も広く、縦断面のうわぞり角度も最も大きいと記されている

 この、私にとっての「川原」の風景が
いまや、
子供時代とは一変してしまっている。
これは、
全国どこの河川敷でもみられる現象ではないかと思われるが、
覆土されて整地がすすみ、
十分すぎるほどの面積をとった、
殺風景で広々した、
グランドができ上がり、
川原の部分が随分と小さくなってしまった。

  休日などには、
沢山の子供たちがサッカーや野球の試合などをして、
にぎやかにしている姿をよくみることが出来る。
 このこと自体は歓迎すべきことであるが、
なつかしい風景に二度と会えないかと思うと
一抹の淋しさを覚える。
 また、遊び仲間でもあった
バッタやキリギリスをはじめとした、
多種多様の昆虫や、ひばり、ツバメなどの野鳥等の
棲息環境をせばめてしまったことにもなる。
いろんな種類の美しく清楚な野草も
生き延びることが困難になったとみえて、
めっきり少なくなった。
ほどほどの開発で止めていただければと願うばかりである。
  
 さて、ここで
“川原”の意味するところについて考えてみたいが、
「川の両岸の、
いつもは水の流れていない砂や石の多い平地
(日本語大辞典 講談社刊)」
という解釈がとりあえず一般的とみなしておきたい。
 ただ、全国各地に散在している
いわゆる『賽(さい)の河原』といわれているところは、
実在の川が流れていないところも多い。
死者供養の聖域となっている『賽の河原』は、
 「・・・彼のみどりごの所作として 
       河原の石をとり集め 
         ここにて回向の塔を組む 
          一重くんでは父のため 
          二重くんでは母のため 
          三重くんではふる里の・・・・・」
というあの哀切きわまりない
「西院の河原(地蔵)和讃」とともにひろまっていったといわれる。
 
 「石の民俗(野本寛一著 雄山閣刊)」によると
    一 火山系で地獄を連想させるような場所
    二 死者が赴くと信じられる山
    三 灯籠流しなどが行われる実際の河原
    四 境意識が高揚され、他界との境を連想させられるよ
      うな峠あるいは峠道
    五 特定寺院の境内
などに場所が分類できるという。
 本当の川は流れていなくとも、
死者の住む他界とこの世(此界)の境界にあって、
穢れをはらうとされる仮想の精進川、
もしくはあの世の三途川が
根っこに想定されているのではないだろうか。
 なお、「石の宗教(五来重著 角川書店刊)」で、
柳田国男の「地名の研究」の中にあげられている、
石のごろごろとした石原に対して
各地に「こうら、こうろ」
あるいは「ごうら、ごうろ」の地名があることを紹介し、
こじつけではあるがとしたうえで、
必ずしも川と関係なくとも
『賽の河原』という呼称が
生まれてきたことを暗示しているのも興味深い。

  ともかく、
ここで欠かせないのは
『積石』のための沢山の石ころがあることである。
五来重氏は、
「石の宗教」の中で、
『積石』は
「仏教的な意味は、“石を積みて塔とする”ということにあるけれども、
日本人の原始信仰なり、
庶民信仰ではすこしちがうのである」とし、
「“あの世”と“この世”の境界に積石をして、
穢れが“あの世(神域)”へ入らないようにする」ことであるといい、
『賽の河原』の『賽』は、
『塞』と考え、
穢れや悪霊をさえぎっているのであると述べている。
 私たちが、神社仏閣はいうに及ばず、
山や川、森や海や洞窟などの自然に接したときなど、
そこに石ころがあれば、
おのずから積んでみたくなる
日本人としての心を大切にしたいものである。

        
 

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2006年1月 3日 (火)

好きな『“石”の詩(5)』~金子みすず~

好きな『“石”の詩(5)』
金子みすず

 あけまして おめでとうございます。
 本年、最初の記事となります。

   昨年12月31日から帰って来ていた、
二人の子供夫婦家族が本日(1月2日)、それぞれ帰って行った。
孫達との楽しいひとときが、沢山の元気をくれた。
 
 急に、静かになった一人だけの家のなかで、
久しぶりに書いてみたくなった。

 明日(1月3日)は、五年ぶりの、
中学校同窓会を幹事として執り行わねばならない。
  これも、
これから一年間の元気の素になればよいがと思っている。

   さて、今回は「金子みすず(明治36年~昭和5年)」についてである。
    矢崎節夫氏の執念のご努力によって、
私たちは、今、“金子みすず”に出会えることとなった。

    「25年永年勤続表彰受賞を記念して購入
~お祝金をもとに~ 平成8年1月29日」
と記した、次の2冊の本が手元にある。
        「童謡詩人 金子みすずの生涯 矢崎節夫著 
          1995年9月14日第7刷    
                     JULA出版局」
      
     「新装版 金子みすず全集
              編集 与田準一、まどみちお、
                 清水たみ子、武鹿悦子、
                 矢崎節夫
        1.美しい町
        2.空のかあさま
        3.さみしい王女
       解説書・金子みすずノート(矢崎節夫) 
      1995年9月27日第17刷     
                 JULA出版局」

   金子みすず(本名テル)の短い生涯と、
矢崎節夫氏による、その発掘の過程は、
どのようなフィクションにも勝る
涙と感動の奇跡に近いような物語である。
 
 西條八十による金子みすず童謡の高い評価とその交流、
作品を託されていた実弟上山正祐とみすずとの関係と
矢崎氏の正祐氏との出会い、
離婚と子供を夫側に手渡さないための手段としての
自殺による満二十六歳の生涯、
金子みすずの一児の現在等々。
 そして、なによりも、一度接すると、
虜になってしまう、みすず詩の力に驚く。
 存在する全ての物や事象・風景等が、皆新鮮に感じられるようになるほど、
見方が一変する。
世界が、生き生きと動き出す。
不思議なこころに満たされるようになる。
そして、豊かな優しい心がよみがえってくるような気持ちがする。

 まずは、矢崎氏が大学1年生の時に出会い、以後の長い金子みすず探索のきっかけとなった、文庫本「日本童謡集 与田準一編 1957年12月20日第1刷 岩波書店」に、1編だけ載っている有名な「大漁」を次に紹介しておきたい。

     朝焼小焼だ
     大漁だ
     大羽鰮(いわし)の
     大漁だ

     浜は祭りの
          ようだけど
          海のなかでは
          何万の
          鰮のとむらい
          するだろう。

 現在、上記2冊の、
金子みすずに関する原典とも言うべき書物に頼らなくても、
多くのみすずについての本が出版されつづけている。
 しかし、この2冊こそが、もっとも重要な書物である。
      
   【以下は1月3日同窓会終了後に、続けて書いた部分である】

  全集には、死を覚悟して、西條八十と実弟上山正祐に、渡された三冊の遺稿手帳に記された512編の詩が収められている。
 この中に、題名に「石」が含まれているものとして、『美しい町』の中の「石ころ」、「濱の石」、「切り石」、『空のかあさま』の中の「空屋敷の石」、「石と種」がある。また、題名には入ってないが、詩本体に“石”の語が入っているものが数編ある。

   以下に、「石ころ」と「濱の石」と「切り石」を引用させていただく。

              「石ころ」

          きのふは子供を
          ころばせて
          けふはお馬を
          つまづかす。
          あしたは誰が
          とほるやら。
         
          田舎のみちの
          石ころは
          赤い夕日にけろりかん。
         
              「濱の石」
         
          濱辺の石は玉のよう、
          みんなまるくてすべっこい
         
          濱辺の石は飛び魚か、
          投げればさっと波を切る。
         
          濱辺の石は唄うたひ、
          波といちにち唄ってる。
         
          ひとつびとつの濱の石
          みんなかはいい石だけど、
         
          濱辺の石は偉い石、
          皆して海をかかへてる。

                「切り石」

           石屋に切られた
          切り石は、
          飛んで街道の
          水たまり。
         
          学校もどりの
          左側、
          はだしの子供よ、
          気をつけな。
         
          切り石や切られて
          おこってる。

  ほとんどの人は、石ころなど歯牙にもかけない。
  しかし、金子みすず的に石ころを見れば、
  いろんな物語が生まれる。
  石ころから、さまざまなことを学ぶことも出来る。
  石ころぐらいしかない殺風景なところでも、退屈することはない。

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