足立巻一の『風土記の大石』
『風土記の大石』は、
『石の星座(編集工房ノア)1983年4月25日発行』所収」
の中の一編である。
「石の宝殿」について書かれたものである。
「石の宝殿」を紹介する前に、
足立巻一について、記しておきたい。
「石の随筆アンソロジー」で、
私が企画したアンソロジーの第1番目に、
『石の星座』の中の「母岩と破片」を置いた。
草野心平と対比して、
自身の石に惹かれる心の背景・理由を深く考え抜いた一文である。
その中に、次のような一節がある。
「草野(心平)さんの詩の壮大さには到底およびもつかないけれども、
わたしも石を好むようになってかなり久しい。
石の詩もかなり書いて、
『石をたずねる旅』と題する詩集を出したのも、
昭和三十七年四月で、
以来年々、石に近づくことが加速される」
この詩集を探し続けて、
やっと、平成13年4月の29日(日)、
万歩書店倉敷店の詩歌集コーナーに、
無雑作に重ねてあったものを偶然みつけた。
その時は、心が踊った。極めて廉価であった。
後で知ったが、
足立巻一には、
土曜美術社の日本現代詩文庫の15巻目として、
足立巻一詩集(1984年6月29日発行)があり、
『夕刊流星号』、『石をたずねる旅』、『バカらしい旅行』、『雑歌』等
が収められている。
石の詩は『石をたずねる旅』以外にも、
幾編か散見される。
「母岩と破片」の終わり部分で、
石に惹かれる理由を述べているので引用しておきたい。
「・・・でも、
詩人(草野心平)が石においておもしろがった人間と自然との関連は、
わたしの印象、あるいは手元にある石においても変わりがない。
また、草野さんの、
『地球創成期への郷愁みたいなもの』という悠遠な思いは薄いが、
わたしの場合も人間の原初の心に惹かれていることも事実である。
(中略)・・・とすれば、
わたしが石に惹かれてきたことは、
原初の哀感とでもいったものかもしれない」
足立巻一は、
名作「やちまた」はじめとした業績にとどまらず、
その辿った経歴等、大変興味深い人物である。
「発掘 司馬遼太郎 山野博史 文藝春秋(平成13年1月20日発行)」
の中には、
記者クラブ時代以来の司馬遼太郎との交友が詳しく書かれている。
また、そこで紹介されている司馬の弔辞は、
足立の誠実な人柄を彷佛とさせる。
石好きの人が、このような人物評価をされていることがうれしい。
「・・・足立ツャン(司馬氏はこう呼びます)は、
自己のない人だった。人のことを考える人だった。
だから足立ツャンと会っていると、
自分も足立ツャンになりたいと思うようになり、
そうしょうとする。
しかし、やはり足立ツャンにはなれないことがあとでわかる。
文学は自己を語るものだが、
自己のない足立ツャンの作品が文学になりえたのは、
己を無にし、昇華したところで書いたからだ」
司馬には、
足立への追悼文
(「虹滅の文学―足立巻一氏を悼む
【産経新聞大坂版 1985年8月19日付朝刊】」
“以下、無用のことながら”所収文藝春秋 平成13年3月1日発行)
があることを書き添えておきたい。
足立と石との関わりについては、
いつか、もっと深く考察してみたいと考えている。
さて、「石の宝殿」についてであるが、
足立の作品によって、
私は、はじめてこの巨石の存在を知った。
どうしても実物を見たくなり、
平成12年8月3日、
姫路市であったある会議の帰りに、
足をのばして『日本三奇 史蹟播磨国石乃宝殿 生石神社』を訪れた。
驚くべき大きさであった。
もっともっと多くの人が、
ここを訪れて、昔の人が感動し、畏敬したように、
巨石に敬虔になってもらいたい。
このことは、
全国各地にある「磐座」等の巨石についても同様である。
「石の宝殿」は、
はるか昔の713年に撰進された「播磨国風土記」の印南郡の条に、
記載されているというのである。
「原(池の原)の南に作石あり。
形、屋の如し。長さ二丈、広さ一丈五尺、
高さもかくの如し。
名号を大石といふ。
伝えていへらく、
聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なりと
(岩波版『日本古典文学大系』による)」
そして、
「こうして石の宝殿は中世以降信仰の対象となったが、
江戸時代も中期からのちになると、
謎の巨石として世人の奇異の目を集め、
多くの地誌・紀行・随筆に名跡として書かれた」
足立は、
「大石は『風土記』の時代から謎の世界にはいっていたとみていい」と言い、
「石の宝殿」に関する、多くの文献を渉猟し、
由来を考察している。
石棺ではないか、と最初いった「山片蟠桃」、
仔細に実測し、その報告を大正11年“建築学会誌”に発表した「関根貞雄」、
昭和7年に兵庫県が出した
“兵庫県史蹟石勝天然記念物調査報告”第九輯の中に論考のある「武藤誠」、
「松本清張」の小説“火の路”、
蘇我氏が一定の目的で作らせたとする
“日本史の謎・石宝葵殿(昭和53年、六興出版)”の著者
「間壁忠彦・葭子」、
斉明天皇の陵墓の石材説の「猪熊兼勝」
等を紹介した上で、
「浅田良朗」の
“【播磨龍山在石工の系譜】序説
(神戸女子大学紀要第九巻・昭和五十五年二月)”で
展開された考えに賛同している。
すなわち、
「印南野辺りいったいを支配する一大勢力者
または現地石作集団を支配下に置く者と規定してはどうだろうか。
何れにしても、
龍山在石工たちの綿密な設計と卓抜的な技術の結晶に他ならないようで、
これには誰しも敢えて異論を唱えることは出来ないだろう」
最後に、
足立の「石の宝殿」に接した時の感動の言葉を引用して終わりたい。
「わたしは大石のまわりを何度か、ぐるぐる回った。
が、正体が石棺であるのか、
そうでないのかということよりも、
この古代の巨石が石彫として表現するスケールの大きさ、
エネルギーの充溢に感動した。
それとともに石彫の上に流動した
さまざまな伝承や信仰や心情や推論などの混淆の歴史に興味をおぼえた。
それは一個の石塊に憑依した日本の精神史といってもいい。
わたしは長い時間の旅を経験したように想った」
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コメント
「石の星座」の表紙絵を描いたのは須田刻太さんでしたが、その場所、十津川の玉置山へ3年ほど前に行ってきました。感動しました。足立先生には晩年に薫染を受けました。素晴らしい人間性の人でした。生涯尊敬してやまない人です。最近、足立先生が再評価されてきて、うれしい限りです。
投稿: 出石アカル | 2009年4月12日 (日) 20時52分
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ここで稼いだ金を使って毎日パチ打ちまくってるよwwww
まともに仕事しなくても余裕だしウハウハすぎwwww
投稿: パチン-コ最高ーーー!!! | 2009年5月 9日 (土) 14時40分
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金玉交互にキュポキュポ咥えながら高速手コキされたもんだから
即イキしちゃったのがちょっともったいなかったな(^^;
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投稿: ちょwwおまwww | 2009年5月19日 (火) 17時00分
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ちょ!!!!長くなるが落ち着いて聞いてくれ!!!!!
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ヌルヌルこすり合って金貰えるってマジ意味わかんねーんすけどwwww
投稿: ムラムラ村!!!! | 2009年5月25日 (月) 17時19分
10万くれたからいいんだけど、昨日のパイパン外人は強敵でしたwwww
勃たなくなっても「マダァヨマダヨー!」ってチンコ咥えっぱなし(^^;
やっぱ外人激しすぎだから、これからは日本人オンリーにしておくよwww
まーでもいい経験になったし話題に出来るよなコレwwww
http://waon.ikisugi.com/Avq1YMI/
投稿: パイパン外人現るwww | 2009年6月 2日 (火) 01時46分