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2005年11月30日 (水)

好きな『“石”の詩(1)』~坂村真民~

                            好きな『“石”の詩(1)』
                               ~坂村真民~
   詩歌のなかの、
さまざまな石のイメージは、
石に学ぼうとしている私にとって、
極めて貴重である。

 そのため、
折に触れ
『石』が中に込められている詩歌を、
採集しノートに書き写してきた。
そして、これまでに、かなりな数が蓄積されてきた。
 
 書き留めたノートは、
私の宝物といっても過言ではない。
小杉放庵、岡麓、草野心平、堀口大学、
与謝野晶子、壷井繁治、武者小路実篤、室生犀星、
八木重吉、高村光太郎、中島敦、
石川啄木、西条八十、金子光晴、金子みすず、
山尾三省他、数多くの詩人、歌人、俳人の名前が見られる。

 もっとも作品が多いのは、
かなわぬ夢ではあるが、
私が、これからの生き方において、
最も近づきたいと思っている
四国(詩国)の愛媛県に在住の坂村真民さんである。
 
 これらの詩歌と向かい合うことによって、
「石に向き合うことは、
自己自身に向合うことにほかならない
(矢内原伊作『石との対話』より)」ことが
、一層深められ、
生涯の課題である
自分の不思議の探究が少しは進んでいくような気持ちがする。
 
 これから、これらの詩歌のいくつかを取り出し、
「石の詩」で扱われている「石」のイメージから、
どのようなことが学びとれるものか考えていってみたい。
そのことで、
今後、さまざまな石に向かった時の感覚が、
従来より豊かで、
深く鋭敏なものとなっていくことを期待している。

 第一回目は、
明治42年熊本県生まれの、
元国語教師で、
仏教詩人といわれる坂村真民さんの詩である。
自ら詩国と称す四国愛媛に住んでいる。

 沢山ある石の詩のいくつかを紹介したい。
(大東出版社より『坂村真民全詩集(全6巻)』がでている)

      石の声

          しっかりしろ
          しんみん
          そううしろから
          声をかけるのがいる
          ふりむくと
          何万年も
          ひとところに
          じっとしている
          石だった

      石にいのちを

          この石に
          わたしのいのちを
          吹きこんでおくのだ
          そう念じながら
          石にむかって
          お経をとなえる
          石はわたしの願いを
          肌に刻み込み
          光る夜は
          風と共に
          声をあげるだろう
         
           浜に行ってごらん
         
          浜に行ってごらん
          石ころでも
          波に自分を
          磨いているのです
          おのれを円くするために
          光る存在とするために

  石は生きている者である。
孤高の指導者であり、
分身でもあり、努力を怠らない者である。

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2005年11月22日 (火)

足立巻一の『風土記の大石』

 『風土記の大石』は、
『石の星座(編集工房ノア)1983年4月25日発行』所収」
の中の一編である。
「石の宝殿」について書かれたものである。

 「石の宝殿」を紹介する前に、
足立巻一について、記しておきたい。
「石の随筆アンソロジー」で、
私が企画したアンソロジーの第1番目に、
『石の星座』の中の「母岩と破片」を置いた。

 草野心平と対比して、
自身の石に惹かれる心の背景・理由を深く考え抜いた一文である。
その中に、次のような一節がある。
 
 「草野(心平)さんの詩の壮大さには到底およびもつかないけれども、
わたしも石を好むようになってかなり久しい。
石の詩もかなり書いて、
『石をたずねる旅』と題する詩集を出したのも、
昭和三十七年四月で、
以来年々、石に近づくことが加速される」
 
 この詩集を探し続けて、
やっと、平成13年4月の29日(日)、
万歩書店倉敷店の詩歌集コーナーに、
無雑作に重ねてあったものを偶然みつけた。
その時は、心が踊った。極めて廉価であった。
 
 後で知ったが、
足立巻一には、
土曜美術社の日本現代詩文庫の15巻目として、
足立巻一詩集(1984年6月29日発行)があり、
『夕刊流星号』、『石をたずねる旅』、『バカらしい旅行』、『雑歌』等
が収められている。
石の詩は『石をたずねる旅』以外にも、
幾編か散見される。
 
 「母岩と破片」の終わり部分で、
石に惹かれる理由を述べているので引用しておきたい。
 
 「・・・でも、
詩人(草野心平)が石においておもしろがった人間と自然との関連は、
わたしの印象、あるいは手元にある石においても変わりがない。
また、草野さんの、
『地球創成期への郷愁みたいなもの』という悠遠な思いは薄いが、
わたしの場合も人間の原初の心に惹かれていることも事実である。
(中略)・・・とすれば、
わたしが石に惹かれてきたことは、
原初の哀感とでもいったものかもしれない」
 
 足立巻一は、
 名作「やちまた」はじめとした業績にとどまらず、
その辿った経歴等、大変興味深い人物である。
 「発掘 司馬遼太郎 山野博史 文藝春秋(平成13年1月20日発行)」
の中には、
記者クラブ時代以来の司馬遼太郎との交友が詳しく書かれている。
 
 また、そこで紹介されている司馬の弔辞は、
足立の誠実な人柄を彷佛とさせる。
 石好きの人が、このような人物評価をされていることがうれしい。
 「・・・足立ツャン(司馬氏はこう呼びます)は、
自己のない人だった。人のことを考える人だった。
だから足立ツャンと会っていると、
自分も足立ツャンになりたいと思うようになり、
そうしょうとする。
しかし、やはり足立ツャンにはなれないことがあとでわかる。
文学は自己を語るものだが、
自己のない足立ツャンの作品が文学になりえたのは、
己を無にし、昇華したところで書いたからだ」
 
 司馬には、
足立への追悼文
(「虹滅の文学―足立巻一氏を悼む
【産経新聞大坂版 1985年8月19日付朝刊】」
“以下、無用のことながら”所収文藝春秋 平成13年3月1日発行)
があることを書き添えておきたい。
 
 足立と石との関わりについては、
いつか、もっと深く考察してみたいと考えている。

   さて、「石の宝殿」についてであるが、
足立の作品によって、
私は、はじめてこの巨石の存在を知った。

 どうしても実物を見たくなり、
平成12年8月3日、
姫路市であったある会議の帰りに、
足をのばして『日本三奇 史蹟播磨国石乃宝殿 生石神社』を訪れた。
驚くべき大きさであった。

 もっともっと多くの人が、
ここを訪れて、昔の人が感動し、畏敬したように、
巨石に敬虔になってもらいたい。

 このことは、
全国各地にある「磐座」等の巨石についても同様である。

  「石の宝殿」は、
はるか昔の713年に撰進された「播磨国風土記」の印南郡の条に、
記載されているというのである。
「原(池の原)の南に作石あり。
形、屋の如し。長さ二丈、広さ一丈五尺、
高さもかくの如し。
名号を大石といふ。
伝えていへらく、
聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なりと
(岩波版『日本古典文学大系』による)」
 
 そして、
「こうして石の宝殿は中世以降信仰の対象となったが、
江戸時代も中期からのちになると、
謎の巨石として世人の奇異の目を集め、
多くの地誌・紀行・随筆に名跡として書かれた」
 
 足立は、
「大石は『風土記』の時代から謎の世界にはいっていたとみていい」と言い、
「石の宝殿」に関する、多くの文献を渉猟し、
由来を考察している。
 
 石棺ではないか、と最初いった「山片蟠桃」、
仔細に実測し、その報告を大正11年“建築学会誌”に発表した「関根貞雄」、
昭和7年に兵庫県が出した
“兵庫県史蹟石勝天然記念物調査報告”第九輯の中に論考のある「武藤誠」、
「松本清張」の小説“火の路”、
蘇我氏が一定の目的で作らせたとする
“日本史の謎・石宝葵殿(昭和53年、六興出版)”の著者
「間壁忠彦・葭子」、
斉明天皇の陵墓の石材説の「猪熊兼勝」
等を紹介した上で、
「浅田良朗」の
“【播磨龍山在石工の系譜】序説
(神戸女子大学紀要第九巻・昭和五十五年二月)”で
展開された考えに賛同している。

 すなわち、
「印南野辺りいったいを支配する一大勢力者
または現地石作集団を支配下に置く者と規定してはどうだろうか。
何れにしても、
龍山在石工たちの綿密な設計と卓抜的な技術の結晶に他ならないようで、
これには誰しも敢えて異論を唱えることは出来ないだろう」

 最後に、
足立の「石の宝殿」に接した時の感動の言葉を引用して終わりたい。
 
 「わたしは大石のまわりを何度か、ぐるぐる回った。
が、正体が石棺であるのか、
そうでないのかということよりも、
この古代の巨石が石彫として表現するスケールの大きさ、
エネルギーの充溢に感動した。
それとともに石彫の上に流動した
さまざまな伝承や信仰や心情や推論などの混淆の歴史に興味をおぼえた。
それは一個の石塊に憑依した日本の精神史といってもいい。
わたしは長い時間の旅を経験したように想った」

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2005年11月19日 (土)

『愛知発 巨石信仰』

 旅をすると、思いがけない書物との出会いがある。

 9月、4人目の孫が生まれたので、
徳川家康が生まれ育った愛知県岡崎市に、初めて行った。
 名鉄線東岡崎駅で、少し時間があったので、
構内にあった岡崎書房に入った。 

 そこで、『愛知発 巨石信仰』に出会った。
素晴らしい本に心がふるえた。

 全国に流通していない本である。
旅先でないと決して手に入らない本である。
平成14年8月発行で、発行者は『愛知磐座研究会』となっている。
研究会は9名で構成されている。
写真が豊富な、445頁もある簡易な箱入りの本である。

 「まえがき」を一部、紹介しておきたい。
「巨石信仰は、原始時代から始まり、
元来自然の大きな岩を崇め奉った風習をいう。
岩は長く残るので現代までも信仰の続いている所もある。
(中略)巨石信仰はまた、殆どがあまりにも古い話なので、
現代人から無頓着にされていることが多い。
山の中とか海岸などに、名前のついた岩が沢山見受けられるが、
それらは昔から謂われのあったものであろう。
(中略)巨石信仰の記録は少ないが、
月日を重ねて調べてみると対象物は非常に沢山あることが分かった。
従ってとても全国までも掲載することは出来ないので、
愛知県内を主に取り上げ、
それと関係するような県外のものは一部分だけに止めた。(以下略)」

 次に、目次を要約してみる。
   第一編  磐座(県内の磐座33カ所、県外の磐座27カ所)
      第二編  環状列石(県内の環状列石6カ所、県外の環状列石16カ所)
      第三編  岩壁(県内の岩壁15カ所、県外の岩壁4カ所)
      第四編  岩神(県内の岩神35カ所、県外の岩神10カ所)
      第五編  岩屋(県内の岩屋12カ所、県外の岩屋3カ所)
      第六編  雨乞い石(県内の雨乞い石6カ所、県外の雨乞い石2カ所)
      第七編  船石(県内の船石3カ所、県外の船石3カ所)
      第八編  腰掛・物見岩など(県内10カ所、県外3カ所)
      第九編  金勢様(県内11カ所、県外4カ所)
      第十編  鏡岩 (県内7カ所、県外3カ所)
      第十一編  その他の磐(県内29カ所、県外10カ所)

    県外のものには、私が住む町の巨石も取り上げられており、
とりわけ愛着が増した。

  ところで、随筆集『石と在る』の中の1編「石・自然・社会」に、次のような部分(一部改変)がある。

 “岡山県総社市上秦【かみはだ】に、
延喜式神名帳にある式内社
『石畳(いしだたみ、又はいわだたみ)神社』がある。
 そして、そこには、
実に見事な神社のイワクラ(磐座)としての巨岩がそそり立っている。
私は、この風景を見るのが好きで、たびたび近くに行く。
また、これまで岩の頂上付近まで何度か上ったことがある。

 そこからは、流域の生きとし生けるものの命をはぐくむ、
高梁川のうねった流れを一望することができる。

 ここに来ると、いつも、
大きな大地の懐に抱かれている気持ちとなり、
さらには、この地に住んだ、
はるかなる過去の人々との、
絆も実感でき、気分が一新する思いがする。

 古代祭祀研究家の薬師寺慎一氏は、

『祭祀が語る古代吉備』で次のように記している。
 「(前略)高梁川は、古代の人々にとって、
水運とかんがいの両面において、
極めて大切なものであったに違いありません。
その高梁川が大きく曲がる地点、
つまり、上流から流れて来た川水が岸に当たる地点に、
そそり立つ巨岩(石畳神社)は、
大事な川の祭祀を行うのに格好の
神のヨリシロであったと考えられます。(後略)」

 
 数年前、行きつけの古本屋で、
珍しい「磐座」に関する本に出会い購入したことがある。
本の題名は「古代祭祀跡 吉備の磐座」で、
吉備地方を中心とした、
県内各地に散在する101箇所の磐座(いわくら)を、
写真と手書きの地図で紹介し、
それに由来を考察した文章を添えた、
自費出版本(原稿作成平成元年、印刷発行平成四年)である。
 腰巻きのように表紙に、
『今「いわくら」が面白い』とあり、
見開きに「いわくらを見にいってみませんか」とあるのが、
著者(佐藤光範)の、
磐座への強い愛着を表わしているように思える。
 古代からの、人と石の神聖な関係を残し続けている磐座は、
現代人にとってもまたとない癒しの場となるし、
愛石・敬石への格好の入り口となりはしないか。
 本書にとりあげられているいくつかの場所は、
私も時々訪れて、元気を回復する場である。
まだまだ、行ってみたい所がいっぱい残っている。   

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2005年11月17日 (木)

『石崑崙』

 昭和61年10月28日、
仙台市で行われたある学会に出席した際、
市内の古書店で、
偶然見つけた「石崑崙」という、
装丁・内容ともに一風変わった、
昭和10年発行の豪華な私家本を紹介したい。

 少年の頃から石が好きで、
「石狂」「石道楽」と呼ばれたこの本の発行者が、
長年にわたって、日本各地から集めた、
無数の奇石・珍石・佳石などによって、
経営する西洋料理店の庭に、
昭和4年7月から昭和5年1月にかけて、
崑崙山を模し、
山岳、渓谷、滝等からなる、高さ二十六尺の峨峨たる一大石連山を築いた。

 それに対して、
二百数十名を超える多くの人から寄せられた、
題字・寄書・画賛・祝歌・祝画・祝詞・祝詩・祝句・川柳・画・書などを、
まとめたものである。 
五歳の幼児や地元の名士から、
犬養毅・若槻礼次郎・宇垣一成・矢野恒太・
高村光雲・頭山満・竹久夢二・土師清二等の著名人まで名を連ねている。
80頁もの『石譚(非想庵主人 藤原相之助)』、
後楽園の石にも言及している『石ころ駄弁(香西俊雄)』などの随筆の
寄稿も含まれている。
非想庵主人 藤原相之助の8頁からなる巻頭文『石崑崙』も読みごたえがある。

 『石』に関連した部分は、
前半の251頁で、
後半の90頁には、
店で出だされるお祝い料理の写真集と、
「米国大統領官邸に於ける、
休日の朝食、昼食及び夕食、並びに一カ年各月、一週間の献立」が掲載されている。

 驚いたことに、発行者である石井金三朗氏は、
私と同じ岡山県出身であり、
仙台市内の繁華街玉澤横丁に、
西洋料理店「金富士」を構えて成功したことが、
本書に記されている。

 石井氏のくわしいルーツ、
「石崑崙」と「金富士」のその後などについて調べたい気持ちが、
ずっと続いているが果たせないでいる。

 どのような情報でも、お寄せいただければ幸いです。

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2005年11月16日 (水)

『石の来歴』随想

 「石」に関連した私の書籍コレクションのひとつに、
小説の題名ないしは内容に
「石」が取り上げられている作品群がある。

 自分の固くて貧弱な想像力では、
なかなか膨らんでこない
「石」についての様々なイメージを探し求める一助としてきたものである。
遊びごころ的なところもあり、
折りにふれて古書店等で目についたものを、
買い求めて来た程度である。
 
 平成六年の芥川賞受賞作品「石の来歴(奥泉光)」も、
それらの収集過程でたまたま出会った本である。

 他の多くの作品が、石の持つさまざまな特性の、
ある象徴的な一面をただ題名として利用したものであったり、
あるいは墓石をはじめとした、
色々の石造物や化石、宝石等との関係から生じた物語や、
石に超能力を仮定して起こる不思議な伝奇・SF的話などであるが、
「石の来歴」は、それらとは何か違う、石の全体と人間の関係の、
もっともっと大きく重たい歴史と宿命のようなものを通じて、
あるひとつの悲劇的な一家の物語が語られていて、
私にとって特別な存在となってしまった。

 ところで、「石の来歴」は、「文学界」の平成五年十二月号に発表され、
同じ雑誌の平成四年十二月号掲載の「三つ目の鯰」とともに、
平成六年三月一日に、文芸春秋からハードカヴァー本として出版された。

 私が、いま繰り返し読み返しているのは、
文芸評論家芳川泰久氏の
巻末解説(「石を書く・石で書く・石が書く?解説に代えて?」)がついている、
文春文庫版(平成九年二月十日 第一刷)である。

 文庫で約百ページほどの中編小説で、
大きく三章に分けられている。
各章は大ざっぱにみてほぼ同じくらいの字数の分量である。

 ところで、すぐれた文芸作品は、
読み手に、その能力や、
おかれた状況に応じた多様な解釈の余地を与えてくれるとも、
また、許してくれるとも聞いたことがある。
 
 そこで、以下、この悲劇の構造や、それから触発された、
人生の在り方と石の意味などについて、
私自身の生活とも関連させながら、
とりとめのない想いを綴ってみたい。

 さて、本作品の構造上の点についてであるが、
作中人物の会話形態の文章は、
ごく限られた所に効果的に使われるだけで、
ほとんどは主人公になりかわった作者による
叙事的説明文体である。

 そして、第一章最初の
“河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている”
にはじまり、随所に、小説の主題がいかにもここにあるのだといわぬばかりに、
石の生成、石の意義、石の採集、石の観察、石の鑑賞、石の鑑定等についての
凝縮された美しい、心に深く残る文章がちりばめられているのが
石好きの者にはたまらない。繰り返し読み返したくなる箇所である。

 物語は、戦時と現在を幾度も交差させながら進行していく。

 第一章は、戦争中の天然洞窟場面で始まり、
しばらくして戦後の生活に移って、
また戦時、そして戦後の結婚生活、
四たび変わって捕虜となるまでの軍隊時代にもどり、
さらに戦後の岩石研究生活となる。

 第二章は、父に似て、
石に異常な興味を持つ利発な長男にまつわる話が主体で、
その子の不慮の死、妻の狂気、離婚へと発展して、
最後に悪夢の中のこととして、
大尉から上等兵を殺すよう迫られている様子が描かれる。

 第三章は、次男と主人公の関係を詳しく述べ、
途中、一瞬、なぜか、フィリピンに向かう船の中のことが出てくるが、
すぐに、次男との対面(対決)場面が続き、
次男の死、主人公の最後の決意へと移っていく。

   次男の死に至る経過を、少し詳しく要約していくと、
「革命党派」活動の流れの中で、銃器獲得のために押し入ったある銃砲店で、
店主の老人の頚を締めて殺し、さらに交番を襲って、
巡査から拳銃を奪おうとしたが失敗し、射殺された。

 次男は殺人を犯して逃走中、
突然、父である主人公のいる
[岩石研究室にあてている家屋の一角の]土蔵を訪ねてきて、
兄が殺された時、一緒に石切場に行っていたことや、
兄が洞穴の奥で父の声を聴いたような気がしたと言っていたことなどを話したり、
父親の、社会になんらの貢献もしない岩石研究の愚劣さをさんざん嘲笑した。

 そして、近くにあった緑色チャートの標本をもらっていくよと言って出て行った。

 主人公「真名瀬剛」は、次男が射殺された後、
『ある決意』を固め、書店を手放した。
次いで、これまでの研究の集大成として、
二百頁程の『秩父の石の集めかた』の原稿を数カ月かけてまとめ、
「妻と二人の息子たちに」と献辞を記して引き出しにしまい、
椅子にすわったまま眼を閉じた。
以下は、小説の最後の部分の要約である。

 【“眼がさめてから”、長男が事件にあった石切場の洞穴にいき、
そこで、これまで悪夢の原因にもなり、
ずっと記憶から消えていた
戦時中の陸軍大尉と上等兵と主人公の三人にまつわる、
フィリピンの洞窟の最後の出来事の場面にであった。
大尉の上等兵殺害命令に背いて、上等兵を肩に背負って、洞窟から脱出し、
ジャングルの闇を駆け抜けて、ある渓流のほとりで一夜を明かした。
おだやかに死を迎えつつあった上等兵は、
掌に握った変哲のない灰色の石を主人公に手渡しながら、
「さっき子供がくれたんだよ。洞穴に二人の子供が来て、
僕にくれた。」と不思議な言葉を残して眼をつぶった。】

 (【 】の中の話は、夢か、幻覚か、はたまた現実か。
SF・伝奇小説ではないので、時間を逆行して現在から戦時へ、
実際に場面が繋がったとするのは、
いささか荒唐無稽にすぎよう。最後に、私の考えを述べたい。)

 ところで、この作品の冒頭には、
エピグラムとして、
『ルカによる福音書(十九章四十節)』の“あなたがたに言っておく、
もしこの者らが沈黙するなら、石が叫ぶであろう。”
が置かれている。
本作品の真の意図につながる深い意味を持っているに違いない。
 
 芳川氏は、その印象深い優れた解説の中で、
『奥泉光』の諸作品は共通して、
「二つの時間=歴史の混淆を糧に、
あたかも歴史と相似形をつくるかのように物語が生成されている」ことを指摘し、
本作品は、
「石の時間と人間の時間の交差から、想像力をはたらかせ、
一つの物語を紡ぎ出してきた」と解読する。

 さらに、古代ユダヤ社会史を専攻した経歴を紹介し、
モーゼの二枚の律法の石板の挿話をひきあいにだして、
「石に鼓舞されるかのように物語の生成にむかう
作者の姿が際立つ」とも言っている。

 しかし、芳川氏が指摘している
「時空の二重化と混淆」の完結をめざし、
また、真の岩石蒐集動機や悪夢の真因、
捕虜になった時にポケットに入っていた灰色の石の謎、
長男が洞穴の中で父親の声を聞いたとされる不思議等の解明のため、
最後の場面を小説の冒頭にもどし、
やや強引に結び付けていくためのさまざまな手のこんだ、
工夫がこらされているのは、
読者による様々な想像の余地を残すための小説手法であろうが、
作為が眼につきすぎて、必ずしも成功しているように思えない。

 さて、世代としては私の父親に近い主人公だが、
どちらかといえば自分に近しいキャラクターに設定されていたので、
この物語を読んでいる間中、
ありえたかもしれない自身のもうひとつの運命を見ているような、
言葉に出せないほどのつらい気持ちがした。

 作者は、おそらく意図していたとは思われないが、
私と家族との関係も視野にいれながら、
『石』と『人生』の関わりで考えられる、
極めて表面的、通俗的な読み解き方について、
まずは取り上げてみたい。

 ひとつは「石のたたり」が引き起こす物語としてであり、
もうひとつは「石好きの唯我独尊的性格傾向と感情鈍磨、
ふれあいやコミュニケーションの不足」がもたらす、人生悲劇である。

 私の妻は、一時期、近くの川原から頻りに石を拾ってくる私の行為に対して、
「石のたたり」を心配した。 そこで、妻の気持ちに配慮し、
私の石拾いは、祈りをささげつつ、ごくごく控えめなものである。

 妻には、古来から各地に伝わる“石拾いと手向け石信仰”や、
柳田国男の「日本の伝説」の中の“たもと石”の話、
あるいは永平寺の泰禅禅師の“石徳五訓”等にあるように、
どちらかといえば石の功徳や恩恵の方が大きいことについて説明したことがある。

 「石のたたり」を気にしたり、
先祖供養や神社の厄除けに熱心なのは、
本人が学生時代、父親を、
勤務していた鉱山会社の岩石落下事故で突然亡くしたことが根底にあるのだろうか。

 たしかに、先の柳田国男の“たもと石”の話の中や、
「石と日本人(野本寛一著 樹石社刊)」の“禁忌と石”、
あるいは「シークレット・ライフ(ライアル・ワトソン著 ちくま文庫)」の“石の復讐”で、
拾ってきた石が災いをなす話がとりあげられている。
また、平安時代の「作庭記」には、石のたて方次第で、
霊石となって、たたりを起こすことが強調されている。

 二点目についていうと、
確かな調査研究の結果からとは思われないものの、
石好きな者の性格は、
現代という時においては、
固さや冷たさ、無口、偏屈さ、超俗的・世捨て人的等マイナス面で
評価を受けていることが多い。

 平穏無事な日常では、
それも愛敬のひとつと大目にみてくれる場合もあるが、
思いがけない不幸な事件が起きた時には、
「石の来歴」の主人公のようにその原因のもとを作ったと、
故なく非難の対象にされやすい。
家族を含め、近くの他人への思いやり、配慮、気配りなど、
ふれあいとコミュニケーションに日頃からこころしていかなければならない。

 ところで、、主人公の最後であるが、
先に疑問としておいた、
“眼がさめてから”行ったとされる最後の場面は、
どのように解釈されるべきものであろうか。
現実には起こりえないことなので、
実際に洞穴に行ってからの幻覚、幻聴がもたらしたものと理解すべきものなのかどうか。

 私は、作者は明示を避けているが、
主人公「真名瀬剛」は、
自著を書き上げた時点で(服薬?)自殺を図っているのではないかと考えたい。
 最後の洞穴の場面は、自死の途次の、
悪夢から解放された安らかな夢のなかの出来事ではないだろうか。

 次男死亡の後の『ある決意』が、
ただ洞穴に行くだけのことでは、
あまりにも軽すぎる。
人の死も、いつか石の結晶へと転化することになることを、
上等兵から聞き、自分も子供に話してきた主人公は、
家族の全てを失った、その時点で、死を身近かに引き寄せていたように思う。

 むしろ、結晶化された石になって、
先に「石」となっている子供ともども、
地球や宇宙の一部になってしまいたかったのではないかと考えたい。

 「石の来歴」は、
冒頭のエピグラムを啓示とした、
これまでにほとんど例のないと思われる『石』が主役の物語である。

 戦争や社会矛盾、
イデオロギーの横行、家庭内の軋轢等無数の不条理のもとで、
右往左往し苦悩する、微力ではかない人間が、
実は、いつか石となりえる存在であり、
それを柱にしたひとつの物語として構築されたのが「石の来歴」である。

 ところで、最後の文章
「いつのまにか渓流の水が透明な光を帯びていた。
水底の小石の群れが色彩を顕らかにしはじめる。

 真名瀬は指につまんだ石を見つめた。
変哲のない灰色の石。
水に濡れた布で汚れを拭うと、
折りから稜線に姿を現した陽の光を浴び、
石は掌のなかで美しく輝く結晶に変わった」の中には、
まもなく二人の息子と同じ石となれる主人公の安堵の気持ちが、
神々しくもすがすがしく描かれている。
 また、そこから、
「石」への、言い尽くせない慈しみの心と、
憧れの気持ちが伝わってくる。
              
                                       

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2005年11月15日 (火)

 内藤濯の「石を前にして」

 「石の随筆アンソロジー」の中で、
私が3番目の作品として選んだ
「石を前にして 内藤濯(『未知の人への返書』中公文庫所収)」
にまつわる話である。

 『未知の人への返書』は、
「サン・テグジュペリの微笑」の見出しの下に四編の作品、
「暮らしの中の文学」として二十二編、「忘れがたい人々」六編、
「教えること教えられること」十編、「舞台風景から」二編、
「石を前にして(7頁分)」を含めて二編の「エクセ ホモ」から成り立っている。

 内藤濯(明治16年熊本県に生まれ、昭和52年9月死去)は、
「サン・テグジュペリの微笑」の中の四編でも、
詳しく経緯を述べているが、
「星の王子さま」の名訳家として、よく名前が知られている。

 まずは、「石を前にして」の冒頭部分を御覧いただきたい。

 「旧一高での教え子で、越後の高田で日を送っているKという人がいる。
べつに名を成そうという野心があるわけでもなく、
石についての種々相を六十いくつかの詩にして、
それを一巻にまとめたのが私の手もとにある。

 石のようになんの変哲もない真実を、
石のようにやさしい言葉で、
石のように名のない人たちのなかで、
石のように声を出さずにうたいたかった。
こんな小さなつまらなぬ石でも、
なれぬ手つきで掘りおこすにはすくなくとも二年はかかった、
とKはいっている。

 こういっているだけに、
慰みに書かれた詩ではない。
書かずにいられなくなって書かれた詩である。

 石に親しんだ詩というよりは、むしろ石と取り組んだ詩である」

 このあと、四編の詩を紹介し、
それぞれに触発されたような形で、
感想を述べている。
そして、『K』の、人間と自然をみる目の確かさをたたえている。

 「Kの詩をめぐって、あれやこれやと考えると、
石には、草木とはちがった特殊な生き方があるわけである。
どんなに四季の移り変わりがあっても、
身じろぎもせず、どこまでも、底なしの沈黙を守っているのが、
石という石のありかたである。

 だからといって、無表情であるかというと、けっしてそうではない。
夜明けのしっとりとした空気の中では、
それにふさわしい色つやを見せるし、
日が暮れかかればまた、それにふさわしく、
やわらかな輪郭をみせる。
身についた姿かたちを大切に保ちつづけて、
周囲の自然に順応する、これが石という石の宿命である」

 「およそ日本の庭園なり泉水なりの飛石は、
あらかじめ幾何学的に定められた方向にのっとって並ぶのではなくて、
石の身についた自然が、しぜんに方向を定めるのである。
世には気まかせということがある。
無理をせずに、自然にまかすことがそれである。
美しさをきわめた人間行為であるが、
日本庭園の飛石は、つまるところ、
やはり自然さが生んだ美しさで成り立っているのである。

 飛石をならべたのは、むろん人間である。
だが、この場合は、自然が人工を見えなくしているのである。
あるいは、自然が人工を美しく生かしているのである。
自然の生き方ーひいては石の生き方と、
人間の自然の生き方との調和ということがもし考えられるなら、
それこそ美しさの絶頂であろう」

 私は、この作品に出会ってから、
ずっと『K』なる人物が気になってしかたがなかった。
また、六十余編からなる詩集にも、どうにかして出会いたかった。
そして、越後の高田方面に行って、
古書店めぐりをし探し求めたいとも、思い続けて来た。

 それが、思いもかけず数年前の妻の死が、
不思議な結縁となり、K氏判明へと導いてくれたのである。
このことは、私としては、
これから重く受け止めていかねばならないことと思っている。

 というのは、妻の戒名にあわせて、
つけていただいた私の戒名の中に、『良寛』という文字が含まれたのである。

 私は、このことを、
妻からの“良寛さんから人生を学んで下さい”
との啓示と捉えていきたいと、想い定めている。

 そして、「良寛」に関する書物を、
我が蔵書の一角に増やしていきたい思って、
少しずつ古本を中心として購入していきだした。

 そのような中、2004年2月15日、
K氏が「北川省一氏」であることが明らかになったのである。

 それは、その日、ある研修会の帰りに、
たまたま立ち寄った書店の「洋書・新本・文具等のバーゲンフェア」で、
「永遠の人 良寛 北川省一遺稿集 考古堂(1994年7月20日発行)」
に出会ったことによるのである。

 その本の目次に目を通すと、
   
   永遠の人 良寛
   「帰らざる雁」と帰雁ー乞食井月と良寛ー
   講演 人間の尊厳ーその生きざまー
   最終講演 良寛の心
   随筆集 風の声(47編の題名が載っている)
   詩 抄
   北川 省一 年譜
   著書一覧 

 となっており、
随筆の1編に「私の処女詩集『石ノ詩』」という題名があったので、
頁をめくってみた。

 2頁に過ぎない作品で、
その最後の部分に「・・・・ちなみに『石ノ詩』については、
サン・テグジュペリ作『星の王子さま』の訳者、
故内藤濯先生が『未知の人への返書』(中央公論社)の中の
『エクセ ホモ(この人をみよ)』の章で
『石を前にして』と題して書いておられました」とあった。

 さらに、「講演 人間の尊厳ーその生きざまー」の終わり部分で、
極めて感動的な師弟関係が話されているのである。

やや長くなるが、ぜひとも紹介したい。

 「・・・・この歌をみて私は
『ああーそうだったのか』と良寛の心がわかったと思った。
その時から、良寛は“わたしの良寛”になった。
一言一行が、人間を救うことがある。

 一言一行が人間を救うということに関連するが、
私は先日次のようなことに出会った。
知り合いの新聞記者がきて『この本に、おまえのことが書いている』。

 その本というのは、
私が一高時代にフランス語をおそわった
内藤濯先生が中央公論社から出版された『未知の人への返書』である。
私は刊行されたことは知っていたので、さっそくとりよせた。
するとその最後の章に
『エクセ ホモ(この人をみよ、というギリシャ語)』という題のもとに
『越後の高田にKというわたしの教え子がある・・・・』という書き出しで、
私が昔(昭和36年)出版した『石の詩集』について、
6、7ページにわたって書いていてくれる。

 私は学校を出てから四十年、
手紙一つさしあげず、どこで何をしているかわからない。
ただ教室だけの先生としていた。
その先生がたまたま私の詩集を見て、
かっての教え子のことを書いてくれたことを知った。
教室だけの先生でなく、一生の師父となっていてくれたことを知った。
その師父に私が教え子の一人として選ばれたことを知った。
本を通して先生に手を握ってもらった。
この感激。百五十年前の良寛にも手をにぎってもらい、
その温かみ、悲しみ、喜びがわかる。
遠い人、死んだ人、そういう人と心を通じることができる。
そういうことがありうる。皆さんにもあってほしい」

 北川省一氏(1911年新潟県柏崎市に生まれ、1993年死去)は、
帯カバーに『良寛になった北川省一』とあり、
「一高、東大仏文科に学ぶが、プロレタリア運動に走り3年で中退。
応召、中千島で2度の越冬を経て帰郷、農民運動・労働組合運動に奔走。
高田市長に立候補などー、政治活動の後、貸本・回読会を業とする。

 誘われて会社の経営に参加するが倒産。
家屋敷を差し押さえられ、受難の時代がつづく中、
図書館で良寛と劇的な出会いをした。
以後、良寛を善友、師父とした作家活動のに専念。
波乱の生涯を真剣に駆けぬけた感動の書」とある。

 著書一覧によると、良寛に関する10数冊の著書があるようである。
これから、少しずつこれらを手に入れて、読んでいきたい。
また、「永遠の人 良寛 北川省一遺稿集」と同じ出版社から、
「版木本詩集 石ノ詩 詩書 北川省一 
刻字 関口八郎版画 布施一喜雄 発行 
北川先生を囲む会 1991年3月1日」
が出版されていることがわかったので、早速取り寄せた。

 個々には、題名を持たない39編の詩からなっていた。
いずれも、石のさまざまな性質や姿に自分の人生を重ねてうたった、
読む者の襟をたださせるような重い詩である。
石から学ぶことができる奥の深さを感じさせてくれる。
いくつか紹介しておきたい。

    石はここに在る
    石はどこにでも在る
    石はこの日に在る
    石はどの日にも在る
    石はこの胸の上に在る
    石冷えのひえびえと
    わが胸の痛みに肌寄せ
    落葉を打つ雨にも似て はらはらと泪を落す

    石は値打をもたない
    石の置かれた場所が石の値打ちだ
    石立の妙だ
    しかし石そのものが立派だと
    石の在る場所が樞(かなめ)となって
    あたりに値打ちをつける
    そういう石でありたい
    そういう石の詩でありたい

    人間の一番下手な生き方を
    碌(ろく)々という
    石の生き方だ
    石はそれほどにも
    愚かしく能なしだ
    その石の生き方に
    私は脱帽する 小学生のように

 昭和36年に出版された元本である「詩集 石の詩(昭森社)」には、60余編の
詩が収められているらしいが、いつの日にか、出会えることがあるだろうか。

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2005年11月14日 (月)

石の長者『木内石亭』

   築地書館より出された、

木内石亭(1724~1808)の代表作『雲根志』の

復刻、訳注、解説付の函入り限定1500部の一冊を、

ほぼ二十年位前、出張で東京に行った時、

神田神保町の明倫館書店のショウケースに見つけ、

ただちに購入したことを昨日のように思い出す。

 生涯を賭けた奇石収集の熱情において、

古今に、木内石亭以上の人物がいるだろうか。

私が目にした、

木内石亭について書いている作品は、いくつかある。

 まずは、現代の石亭ともいうべき、

益富寿之助氏の『石〜昭和雲根志1〜(六月社刊)』であるが、

自序の中で「雲根志が扱っているような奇石を紹介し、

以って一般の人々の石への関心を高めんがために

綴ったものである」と上梓の意図を語っている。

 本書は、新書の変形版で、

石亭小伝、石亭につながる3人とその遺品、

第1編としての二十七の奇石解説が内容となっており、

あとがきで第2編、3編を予告しているが、

私はいまだ目にしていない。

 ついで、昭和十三年出版の森銑三著

「おらんだ正月」の中の一編に、

「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」という作品がある。

著者は、昭和五十三年十月発行の新版

「おらんだ正月(冨山房百科文庫20)」の後記で次のように記している。

 「内容は、江戸時代の科学者、

実学者達の小伝五十二編を収めており、

それより先に、雑誌『子供の科学』に連載したものに、

さらに幾編かを書足して一部の書としたのでした。

その材料には、諸先生方の研究を、

勝手に使わせてもらっており、

私自身の研究するところなどは極めて少ないのですが、

もともと年の行かぬ諸君の読物としてこしらえたので、

そのことも許していただかれましょうか。

私としては、ただ少しでも平易な、

興味をもって読んでもらうことの出来る文章を書こうと、

その点に骨を折ったというにとどまります」

  以上からもうかがえるように、石亭伝としては、やや物足りない。
 他に、「考古学の先覚者たち(森浩一編)中央公論社刊」の中の

「石之長者 木内石亭(土井通弘)」がある。

  しかし、なんといっても、斎藤忠氏によって、

吉川弘文館の人物叢書として出ている伝記が本格的なものである。

その中に、次のような一節がる。

   「十一歳という年齢のときから石を愛し、

そのながい生涯を通して石に執心した。

『石よりほかに楽しみなし』とみずから語り、

晩年には、人がたずねてきても、

石よりほかに話をすることを禁じさせ、

その人を二日も三日も逗留させて、

石を見せ、石の話のみをなした」

 石亭は、さまざまな視点からの多様な石をあつめており、

石と人との関係について考察する事例として、このうえない人物である。

 木内石亭の著作をまとめたものとして、

昭和11年、下郷共済会発行の

「石之長者 木内石亭全集(中川泉三編)」があるが、

極めて入手が困難な書籍であった。 

 これまで、いろいろな古書店で、

注意深く探し続けてきたが、

なかなか出会うことができなかった。

ところが、ある古書のインターネット検索注文が、

きっかけとなって数年前から、

隔月に送って来て頂いている、

東京神田の中野書店発行

「日本の古本屋 在庫だより 古本倶楽部」の

昨年11月号(161号)で書名を発見し、

翌日、ためらうことなく朝一番に電話注文をした。

これまでも幾度か、

一寸の油断で、欲しい本の先を越されたことがあったので、

朝が待ち遠しくてならなかった。

 値段は、4万7千余円と、

いささか高価な買い物であったが、

この時は、躊躇することはなかった。

 毎度のことであるが、

翌日には配達された。

和綴じ形式の6巻本で、

函は、折り畳み様式となっている、

函に少しの傷があるだけの新品同然の書籍であった。

大いに満足した。

編者中川泉三氏の

大変な研究上の御苦労が随所に偲ばれる

見事な内容の本である。

全巻の目次を紹介しておきたい。

   第一巻(91頁)
     木内石亭伝
     総   論
     石亭の著書
       曲玉問答   百石図

   第二巻(104頁)
     石亭の著書
       奇石産誌   石亭二十一種珍蔵目録
       化石の四説  石 筌
       舎利之辨   龍骨辨
       鏃石伝記   天狗爪奇談
       木内家に存する蔵石一部分の目録

   第三巻(130頁)
     石亭の著書
       雲根志前編

   第四巻(150頁)
     石亭の著書
       雲根志後編

   第五巻(131頁)
     石亭の著書
       雲根志三編

   第六巻(131頁)
     石亭の交友と史料
      稀壽と賀詞
       大納言中山愛親卿寄詩
       大納言芝山持豊卿祝歌
       赤田臥牛翁賀詩
       二木長嘯翁画賛祝詞
       泉涌寺僧宏雲賀詩
       紀九老筆米元章拝石之図
       野村公臺の木内石亭銘
      諸国の交友
       西遊寺鳳嶺と諸国集記
       服部末石亭
       飛騨高山の二木俊恭と石亭の書翰三十七通
       石山寺畔の奇石会
       石亭茶道の懐中日記
       木内氏略系図
       石亭遺言状の一節
         付録 肥田崇徳寺の蔵石

 これから、時間をかけて、

この全集等を十分に読み込み、

木内石亭とは、いかなる人物であったのか、

わたしなりの解釈をおこなって、

いつの日にかまとめてみたい。

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2005年11月13日 (日)

鈴木大拙の『石』他

 一般によく言われていることだが、
西洋は石の文化で、日本は木の文化だという。
矢内原伊作の「石との対話(淡交新社刊)」の冒頭を飾る『日本と西欧』は、
次のように始まっている。

 「ヨーロッパの土を一度でも踏んだことのある人なら、
だれもが痛感するにちがいないことだが、
西欧の都市はすべて石で築かれており、
西欧の文化は一般に石の文化と呼んでいいようなものである。
(中略)風も光も通さない石の家は、堅牢ではあるが暗くつめたい。
それは人間が人間に対して狼である社会での、
人を寄せつけぬ城郭である。(後略)」
 
 わたしも十数年前、一度だけ、
短時日でヨーロッパの七ヶ国を駆けめぐって、
歴史の重みを感じさせる、
石づくりの住居等の建造物群やびっしりと石を敷いた街路、
あるいは見事な石彫作品の数々に、
圧倒された思い出を有しており、
西洋の石の文化論にはなにとなく納得できるものがある。

 石造りの建物に住むことが、
ヨーロッパの人の精神と文化に与える影響については、
饗庭孝男の名高い
『石の思想(「石と光の思想〜ヨーロッパで考えたこと〜、平凡社刊」収録)』
のなかにも印象的な記述がみられる。

 しかし、日本を、木の文化の国として、単純に括ってしまうのは抵抗がある。
日本は、西洋はおろか、
世界中のなかでも屈指の
独自の豊かな石の文化を築いてきた国ではなかろうか。

 野本寛一の「石の民俗(雄山閣刊)」や「石と日本人(樹石社刊)」、
大護八郎の「石神信仰(木耳社刊)」等を繙けば、
そのことは一目瞭然である。
 先の矢内原伊作の『日本と西欧』の、
最後にあたる文章も『石の国・日本』の根源を示唆している。

 「・・・われわれにとって、石は決して無縁なものではなかった。
西欧人にとって、石は家をつくるための材料にすぎないが、
石の家に住まぬ日本人は、
それだけかえって石に特別の思いをよせ、
石によってさまざまな感情を養ってきたのである。」

 ここで、あの世界的な禅思想家の鈴木大拙(一八七〇〜一九六六)
にも登場していただく。

 最近、たまたま出合った「新編東洋的な見方(岩波文庫)」に収められている、
わずか三頁ばかりの『石』という一文に注目してみたい。
“石”を通じた、核心に迫る近代(人と科学)批判の書である。

 考えてみれば私は、大それた事とは思うが、
そこに書かれていることを基本に、無意識のうちに、
一連の「石の随想」を通じ自己から周辺へと、
社会と自然の中の人間のありようについて、
点検作業しているような気もする。

 最初と最後の部分を一部、以下に引用したい。
なお、大拙は、このエッセイで極めて重要な
「仏教の根本義」と「人間の魔手と大悲」を、
簡潔に説いているのだがその部分は、長くなるので省かせてもらっている。

 「昔は石を羊にしたり、虎に見立てたり、
また説法して肯かしたりしたことがあった。

 が、近代の人々は何れも殺風景になって、石は石でしかなくなった。
人間と環境との区別が、生きたものと死んで居るものということになった。
それで環境は克服すべきもの、克服されるもの、
何か物質的に人間に役立つべきものということになった。

 (中略)日本では石が削られないでそのままに立てられ、
寝かされ、ころがされ、散らかされた。
ここに日本的な心持ちが出ている。

 吾らは石を生きものとして見る、
即ち石から生きものを作り出す。
彫刻家は石の中に眠って居るものを彫り出すというが、
吾ら一般人は石をそのままにして、
その上にそれぞれの吾らの心を作り出す、生かして行く。

 それはこの石が何かに似て居るからというのでない。
石をそのままに、そのままの形で見て、生かして行く。
必ずしもまた象徴的ということでもない。
吾らの石観には特殊のものがある」

 わが国では、国中のいたるところに、
数多くの古墳群や磐座(いわくら)、野の石仏、
墓石や各種の石塔、庭の中の石、石碑、石標、
城・社寺・民家などの石垣や石塀
はじめ、棚田や井戸の石積み、漬け物石や石臼などの
数々の石で出来た生活用品、水石等があり、
それらのいくつかに出会うことは至極容易なことである。

 そして、それらのかなりの部分は、
自然のままの石の持ち味が大事にされていると思う。
おそらくは世界の国のなかでも、
量的には他を圧倒しているのではなかろうか。

 また、他の国の国歌で、
「君が代」のように、石を内容に織り込んだ例があるのだろうか。
わが国最古の古典『古事記』の中でも、
石が重要な意味をもっていることは周知のことである。
「石の国・日本」というのも、
あながち誇称とばかりも言い切れないであろう。

 さて、これまでに述べてきたことから、
同じ石の文化といっても、
大きく二つの型があることがご理解いただけたのではないだろうか。
素材として切り刻み磨き上げた石の使い方をした文化と、
どちらかというと自然のあるがままの形の石を生かした文化である。

 西洋が前者で、日本が後者に属することはいうまでもない。
しかし、阿部謹也の
「石をめぐる中世の人々〜西欧世界と石の伝承〜(『中世の星の下で』所収、
ちくま文庫)」によって、
西欧文化の深層部分における石と人間の関係を知ることができるので、
次に引用する。

 「(前略)ヨーロッパの家庭を覗いてみても自然石を飾っている家は大変少ない。
・・・・・ヨーロッパの人びとの間では
石に対するこのような感じ方はあまり一般的ではないらしい。
・・・・・石に対して無関心であるためでなく、
石というものがヨーロッパの古代、中世の文化のなかで
あまりに大きな意味をもっていたために
手軽に石を扱えなくなっているのではないかと考えられるのである。(後略)」

 そして、呪術的信仰の対象としての石、
あるいは何らかの奇蹟や予言とかかわる石、
およびそれと関連して人間や動物が石に変化するモチーフ等の具体例を数多く、
文献的に紹介している。

 この方面では、澁澤龍彦の「石の夢(『胡桃の中の世界』所収、河出文庫)」も、
前者とはやや視点はことなるが、
博覧強記ぶりを発揮して、多数の事例を掲げて私どもを驚かしてくれる。
洋の東西を問わず、かつて『石』は、人間にとって神秘的で、
不可思議な存在であったことを察することが出来る。

 阿部謹也の「石をめぐる中世の人々」を、さらに抜き書きする。
『(前略)石は長い星霜を経てもその形をかえないと一般には考えられている。

 しかし石と人間の関係は長い年月の間に大きな変化を示している。
石がただの石となるためだけでも、かなりの年月を要したのである。

 (中略)十三世紀以降に投石器が普及してゆき、
石と人間の関係も変わってゆく。
投石器が扱う石はただの石にすぎないのである。(後略)』

 とにもかくにも、まずは西欧が、石を単に素材として自在に使いこなして、
人間の限りない欲望を満足させる高度な、
しかし緊張を強いる文明を発展させてきた。
 そして日本も、明治維新以降、西欧に遅れじと後をついてきて、
産業の資源として経済的価値だけで石を評価する風潮がはびこり、
素朴な自然石への崇拝・畏怖・畏敬・敬愛等の気持ちは、
ほとんどの人の心の中から失われてきてしまった。

 大拙が嘆くように『石は石でしかなくなった』
 石ころは、役にたたないもの、無価値で、むしろ害になるものとして、
道路や運動場や公園等身の回りから取り除かれてしまった。
さまざまな場所の垣なども、
疑似石であるコンクリートなどに置き換わってしまった。
道という道はアスファルトなどで舗装されて、
極度に人工的で、機能的ではあるが深みのない、
ただのっぺりとした面白味のない街並みが出来てしまった。

 ひとつとして同じものの無い、
自然の石との豊かな関係づくりができる出会いの機会は奪われてしまった。
もはや、
そこからは石と人間の関わりについての詩も小説も説教も生まれてはこない。

 私は、せめて、公園とか広場、学校等の運動場等の一角に、
可能なかぎり広いスペースをとって、
出来るだけ多くの石ころを置いておくことを提案したい。
そして、自由に持ち帰れるようにしてもらいたい。

 石は黙して何も語らない。
しかし、人類の発展と人間の豊かな感情形成の過程は、
石との関係の歴史そのものであった。

 住居や生活用品などの生活の礎を石に求めただけでなく、
人生における生老病死(四苦)の救済の拠り所や、
喜怒哀楽の一切を石に投影して生きてきた歴史がある。

 使われている言葉の中にも、多くの痕跡をとどめている。
 石は、人間に利用され、ただ捨てられるだけで、
愚痴のひとつも言わない。

ただ、静かに沈黙して全てを受け入れてくれてきた。
これに甘えるだけ甘えながら、軽視してきた反省が必要ではないだろうか。

 自然や環境の破壊が生命の存在を脅かすようになってきた今、
原点に戻って、悠久の自然そのものの石から、
もろもろの存在の不思議に敬虔となる心と、
宇宙と自然の摂理というか知恵を学んでいかねばならないのではないだろうか。

 まずは、身近に、ありふれた石ころでもひとつ置いてみると、
各自の物の見方が次第に変わっていくことがわかるに違いい。                                    
       

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2005年11月12日 (土)

『石の随筆アンソロジー』

 作品社発行“日本の名随筆”シリーズの88番は、
『石(奈良本辰也編、1990/2)、以下“作品社本”とする』である。
 
 “日本の名随筆”は、まず一文字シリーズが、
1982年10月から刊行されはじめ、100冊続いた。
次いで二文字シリーズとして、さらに100冊を発刊、
1999年6月完結となった。

 アンソロジーから得られる利点は、
なんといっても、それぞれの分野のいわば、
代表作といってもよい作品に手軽に接することができることである。
 あちらこちらと散らばり、あるいは埋もれている作品群の中から、
特定編者の視点や嗜好からとはいえ、
一定レベル以上のものを選び抜いてくれていると思うので、
容易に、その世界のある程度の深みと広がりに、
入り込んでいける。

 これまで、同種の本が無かっただけに、
作品社本は、「石」に関係した作品世界の豊かさに目を開かせてくれ、
私は大きな恩恵を受けた。
いまも、折りにふれ繙といている。

 しかし、石に関連のある本の収集が進むにつれて、
作品社本には載っていないが、優れたいくつもの石の随筆に遭遇し、
これらを世の人々に紹介したい気持ちが強くなってきた。
そこで、私なりの『石の随筆アンソロジー』を企画してみた。

 社会にこれまで蓄積されてきた、
膨大な書物の堆積群や、現在も、つぎからつぎへと洪水のように出版され、
流通して消えていく大量の本のなかから、
個人にとって、真に必要な作品を探し当てることは、
次第に困難になりつつある。
ましてや、“石”などに関しての作品を書き表わす人は、
元来、数が極めて少ない上に地味な部門であり、
目立つことなく、
書物群という大海のどこかに密かに消えていってしまうのが普通である。

 このことは、かえすがえすも残念でならない。
このたびの、私のささやかな努力が、“石”に興味を抱く人々のために、
いささかでも、役立てば幸いである。
そして、同じ様な試みをしてくれる同好者の出現を、
こころから期待している。

 どこかで、ひっそりと日の目を見ずにいる石の随筆は、
まだまだ沢山あるはずである。
ひとつでも多くの、それらの作品に出会いたい気持ちでいっぱいである。
 
 まずは、作品社本に収められている作品が、
どのようなものであるか見ていただきたい。
驚かされるのが、一部をのぞいて、
とびきり著名な小説家や随筆家であったり、
詩人・歌人・俳人、あるいは学者、評論家などの作品に片寄っているということであ
る。
 どちらかというと、作品の質もさることながら、
作者の知名度のほうを優先させた作品採択の傾向がみうけられる。

 しかし、これはシリーズの全体にみられる特色のようであり、
作品社のホームページには、全巻の作品と作者、
そして取り上げられた作品の数の多い著者のランキングが載っている。

 以下、目次にあるとおりに作品名と作者を列挙する。

 (一)石…草野心平、(二)石…尾崎放哉、(三)石の表情…上村貞章、
(四)石を愛するもの…薄田泣菫、
(五)石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭…森銑三、

(六)石…唐木順三、(七)石を積む…別所梅之助、
(八)日本の庭 抄…小泉八雲、
(九)愛石志 抄…久門正雄、(十)竜安寺石庭…竹山道雄、

(十一)石位寺の石仏…山本健吉、(十二)石皿との出会…青柳瑞穂、
(十三)石臼の話…井伏鱒二、(十四)武田石翁…石川淳、

(十五)一片の石…会津八一、(十六)石の信仰とさえの神と…折口信夫、
(十七)恐山の石…佐藤宗太郎、

(十八)子石と卵石/石眼…北畠雙耳・五鼎、
(十九)石の中の魚…長谷川四郎、(二十)石の夢…渋澤龍彦、

(二十一)狸石 寓話…豊島与志雄、(二十二)ひでちゃんの白い石…中沢けい、
(二十三)独り碁…中勘助、(二十四)石…網野菊、

(二十五)殺生石…宇佐見英治、(二十六)リルケの墓で…堀多恵子、

(二十七)ロワール河畔…小川国夫、(二十八)石との対話 抄…矢内原伊作、
(二十九)萩の武家屋敷の石垣 山口…奈良本辰也

 私が選んだ、『石の随筆のアンソロジー』企画についてであるが、
作品社本とは作者が重複しないことを原則とし、
数も同じ二十九編の作品を、
手持ちの収集本の中から以下のとおり選び出してみた。

 割愛しなければならなかった優れた作品は、
なお相当数あり、さらなる『続編』の編集も、
今後検討してみたい。
 また、取り上げた作品と、その元本については、
今後、順不同で取り上げ、解説と感想を記していきたい。

(1) 母岩と破片…足立巻一【「石の星座:編集工房ノア」所収】
(2) 僕の石…山尾三省【「ジョーがくれた石:地湧社」所収】
(3) 石を前にして…内藤濯【「未知の人への返書:中公文庫」所収】
(4) 石塊の思想…秋山駿【「定本 内部の人間:小沢書店」所収】【「高梁
(5) 石に想う…土井歓照【「石に叱られて:宝樹寺鶴の子会」所収】

(6) 石の連想…壷阪輝代【高梁川 第三十八号“特集 石”:高梁川流域連盟」所        収】
(7) 石…徳川夢声【「別冊農耕と園芸 水石の心 石の味:誠文堂新光社」所収】
(8) 石による癒し…井村宏次【「夜想33“鉱物”:ペヨトル工房」所収】
(9) 石の時代〜石のように考える…北山耕平【「別冊歴史読本 石の神秘力:新人物    往来社」所収】
(10)石ころの歌…西岡信雄【「地球の音楽誌:大修館書店」所収】

(11)石がもし口をきいたら…岡本太郎【「岡本太郎の本4 わが世界美術史〜美の呪    力〜:みすず書房」所収】
(12)雲を制する巨石の切っ先…堀淳一【「ケルト・石の遺跡たち:築摩書房」所収】
(13)石の思想…饗庭孝男【「石と光の思想:平凡社」所収】
(14)石…岩田慶治【「草木虫魚の人類学:講談社学術文庫」所収】
(15)石をめぐる中世の人々…阿部謹也【「中世の星の下で:ちくま文庫」所収】

(16)石の文明…並河萬里【「いのち:リベロ」所収】
(17)女と石…吉村貞司【「中国水墨画の精髄:美術公論社」所収】
(18)石のある風景…関忠夫【「石:悠々洞」所収】
(19)石…鈴木大拙【「東洋的な見方:岩波文庫」所収】
(20)石の復活…野本寛一【「石の民俗:雄山閣」所収】

(21)謎の石…五来重【「石の宗教:角川選書」所収】
(22)石の夢…栗田勇【「石の寺:淡交新社」所収】
(23)石の寺…白州正子【「かくれ里:講談社文芸文庫」所収】
(24)岩の呪力〜吉備路幻視行…金森敦子【「石の旅:クロスロード選書」所収】
(25)バナナになった石…徳井いつこ【「ミステリーストーン:築摩書房」所収】

(26)北上川・岩木川〜川原の石…宮城一男【「日本列島 石の旅東日本編:玉川選     書」所収】
(27)地中海の石ころ…小出楢重【「小出楢重随筆集:岩波文庫」所収】
(28)石と人間…白水晴雄【「石のはなし:技報堂出版」所収】
(29)石が身近かにあった頃…真鍋博【「日本人と石:エス出版部」所収】

 ところで、作品社本には、
巻頭詩として次のような堀口大学の『石』という詩が、
掲げられている。
 私のアンソロジーには、誰のどのような詩を載せるのが適当か、
考えるのが、ささやかな楽しみとなっている。
しっかりと時間をかけて考え、無上な時を過ごしていきたい。
 
       「 石は黙ってものを言ふ
          

                直かに心にものを言ふ
            

                        雨には濡れて日に乾き
          

                  石は百年易らない
           

                            流れる水にさからって
               

                      石は千年動かない 」

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2005年11月11日 (金)

『石の夢』

 三作品を紹介したい。
ひとつは、渋澤龍彦のエッセイ集「胡桃の中の世界(河出文庫版)」所収
十三篇の冒頭に置かれているものである。
 次いで、栗田勇の、それぞれがほぼ独立している
九章からなる「石の寺(写真 岩宮武二)淡交新社刊」の第一章にあたる作品である。
 最後は、宇佐見英治の、自選随筆集である。

 渋澤の「石の夢」は、
石や鉱物についての文学作品世界では、大変に有名なエッセイであり、
作品社から出ている『日本の名随筆88【石(奈良本辰也編)】』や、
国書刊行会の『書物の王国6【鉱物】』などのアンソロジーに収録されている。
しかも、後者では、巻頭を飾っている。
 渋澤は、実際、「石」が好きであった。
夫人の渋澤龍子氏が、「鉱物」を特集した夜想33(ペヨトル工房刊)』の中の
短い文章「渋澤龍彦の好きだった石」で次のように書いている。

 「渋澤は硬質な物が好きでした。・・・・・しかし、
宝石や珍しい石をコレクションするという趣味はなく、
散歩の途中、鎌倉の海岸で拾った、
まるい孔が無数にある石とか、
中近東を旅した折、・・・・拾ってきた青く色づけされた煉瓦の破片や、
さらさらといつもくずれ続けている砂の塊のような石が、
飾り棚に無造作に置かれています。

 外国旅行の楽しみの一つに石屋を覗くことがありました。
・・・・・・そしてすべすべした表面に、
茶褐色の濃淡のあるイタリア中世都市の廃虚の様な模様の小さなトスカナ石を、
旅の思い出に求めたのでした。(以下略)」

 さて、渋澤の「石の夢」の内容であるが、
まずは、古代から中世、そして現代にいたる「絵のある石」への関心と、
その解釈の系譜についての詳細な記述から始まっている。

 そして、「無意味な形象が夢の世界の扉をひらく。
鏡の中におけるように、石の表面にイメージが浮かびあがる。
ガストン・バシュラールが『大地と休息の夢想』のなかで述べたように、
『存在のあらゆる胚が夢の胚となる』のである」、
「古来、人間が石に託してきた夢想のいかに大きく、
いかに偏奇をきわめていたかということの一端が、
これによって明らかになるだろう」等の考えが示されている。

 次いで、木内石亭やC・G・ユング等の名前をあげ、
石を愛玩する精神について考察し、以下の様に述べている。

 「母胎と石棺とを同じイメージの二つの時間と解することによって、
『安息の願望』と『死の願望』とを統一的に捉えようとする
ユングⅡバシュラール的な立場に、私としては賛同したいところである。
大地に所属する石は、何よりもまず、
源泉への回帰をあらわすシンボルなのではあるまいか。
神や霊が石に具象化されるという例も、洋の東西を問わず、
枚挙に遑がないほどだ」

 最後は、鷲石や禹余糧、長崎の魚石等内部が中空になっている石についての、
ヨーロッパや中国・日本の数々の言い伝えをあげて、
「要するに、内部の豊かさのすべてが、それが凝縮されている内部の空間を無限に大きくするのだ。夢はそこに身を屈めて入りこみ、
この上もなく逆説的な快楽と、言いようもない幸福に包まれて、
大きく拡がるのである(大地と休息の夢想 バシュラール)」と結んでいる。

 石の夢が、大きく拡がって行く理由が、すこしずつ理解できるようになっていく。

 次いで、栗田の「石の夢」の内容であるが、
京都の庭の、石の産地である洛北の貴船川、そして貴船神社を訪ね
「京に、さまざまの石庭をつくった日本の先人たちは、
夏の川遊びに、秋の紅葉狩りに、これらの石を眺め、眺めつくして、
夢を託したのである」というところから始めている。

 そして、「古来、石の文化と称せられるものは多いが、
日本人は、石を部分的素材としてばかりでなく、
ある生物のような統一性のある有機物とみたようである。そこ
に日本だけの石の芸術の誕生があった。

 石を愛し石を眺めるということは、一見、枯淡にみえるけれど、
じつは、ぎゃくに、石にさえ、情を移して生きるという、
はげしい情念のドラマを演じることにほかならない」と、
日本と日本人の精神の原点を指摘する。

 また、「石は、もともと、まるで生き物のように、
ある超自然的な世界からの便りとして人類にうけとられ、
歴史のなかを生きてきたことに気づく」と書き、
「今日にいたるまで用途がわからない石、
なんらかの呪術や信仰の対象となっていた石が、
世界中に存在しているという事実である」と考えを進める。

 このことから、信仰生活を「宇宙や世界をどうイメージするかという世界観の問題」
とした後、「石のひとつ、ひとつは、それぞれの性格をもつ神のすみかである。
そしてさらに、それらの石全体が、神の世界をこの世につくっているのだ。
 しめなわを張られる神聖な地域は、
たんに目にみえるところばかりではなく、
その地を接点とする、目にみえぬ神の世界が連続してひろがっている。
石はその入り口なのである。
ある秩序をもった世界の一部なのだ。
 したがって、ある法則にしたがって配置すれば、
その関係から生まれる空間は、彼岸という理想的世界像を、
いわば類比的Ⅱアナロジカルに、この世に出現させ得るだろう。
それは、かならずしも、素朴な神々の信仰や、仏教教理の極楽ばかりではない。

私たちを、真の世界に覚醒させてくれるはずの空間なのである」と、
さまざまな石の配置構造物への解釈を提示する。

 次の、締めくくりの文章が、これからも、ずっと石と対話し続けていこうと決意している、
私の心を強く後押ししてくれるような想いで読んだ。
石の心は、限り無く広く深い。
 『私たちは石や石庭を芸術品として、自我の表現としてうけとるのではない。
私たちをよびこみ、うけいれ、
はげしく生かしてくれる世界の存在の確証としてそれをうけとる。
 その意味で、石のなかには、私たちの人生のすべてに匹敵する夢が
生きているといっていいのだ』

 宇佐見英治の、自選随筆集であるが、
一九九四年十二月に、筑摩書房から二冊同時刊行された、
ひとつが「石の夢」という表題で、他の一冊は「樹と詩人」となっている。

 「石の夢」のなかには、以下の二十三編が収められている。

 「空と水と血」、「足音」、「石切場」、「毛越寺逍遥」、
「一乗谷朝倉氏館遺蹟」、「石塔寺ほか」、「石を踏む」、
「東山中の道」、「月夜の玄武洞」、「枯山水三庭」、
「安土城址」、「青金幻想」、「考古陳列館で〜縄文の幻想・1〜」、
「土と空間〜縄文の幻想・2〜」、「永遠の現在〜縄文の幻想・3〜」、
「一億年の愛」、「雲と石〜宮澤賢治のこと〜」、
「雪の夜」、「蘇洞門の海」、「青い洞窟」、
「空林日乗〜ヘルマン・ヘッセを憶う〜」、「星宿石林」、「海の塚」

 自然景観あるいは歴史的遺蹟や遺物、石切場、文芸作品と作者、
石や鉱物そのもの等に関する、「石」が備えた本性との関わりを通した、
美しい詩的幻想に満ち満ちた表現の豊かな作品群であり、
圧倒され、魅了される。石のイメージを、
大きくふくらませてくれる得難い本である。

 また、エピグラムとして、次の詩句が添えられていることを付記する。

         われは美し、あわれ、人々よ、石の夢の如く
                     〜ボードレール「美神」より〜

 現時点における、私の「石の夢」について、書き留めてみたい。

 いわゆる石(宇宙の要素とみなしたい)は生きている、
石は人智では、理解の及ばぬ
深いたくらみを抱いているのではないかとの想いがふくらんでくる。

 生きて夢みているとすれば、
私どもが体験してきているように、
夢は逆夢とも、正夢ともいわれ、ひとたびイメージ化されたものは、
いずれにおいてか、なんらかの形で、
具体化されるものだというような感じがしてならない。

 石(宇宙)は、人間の想像を超える夢のもとで、
限り無い増殖を意図しているのではないだろうか。
 生物時間とは、格段に違う、ゆったりとした経過であるが、
多様な形で増え続けている。
行き着く果ては、どのような世界を描いてあるのだろうか。知るすべはない。

 荒涼たる静的世界か、混沌たる無秩序世界か、
整然とした複雑高度な世界か、
それとも全てにおいて満たされる豊かな理想郷か、
また、想像を超えた暗黒世界が待っているかもわからない。
あるいは、一転、無の世界へと反転するかもわからない。

 万物の根源である宇宙は、
さまざまな石と星々を生じさせ続ける事に加え、生物をうみ、
ついに特異な人類を誕生させた。
これは、私の妄想に近い考えであるが、
人類の営みの全体が、石の増殖への・協力加担ではないかと思えることがある。

 石を加工したり、彫刻することはもとより、
鉱石を製錬してさまざまな金属をとりだすこと、
各種の合金を造り出す事、さらには陶器づくり、レンガづくり、
瓦やタイルづくり、ガラスづくり、コンクリートづくり、アスファルトづくり等々の
疑似石製造といってもよいような営みは、生活を豊かにして来た、
人類の知恵の産物であるとはいいながら、
何か大きな見えない意図の中で指図されていないとは言い切れないのではなかろうか。

 無自覚に、これまでの進化の道筋の延長にあってよいものだろうか。
宇宙の神秘な摂理にはさからえないかも知れないが、
いささか急ぎ過ぎているような気がして不安である。
あるいは、人類が宇宙の意図に反して、
無秩序に暴走してないとも言い切れない。

 石のなかの原子力までもとりだしてしまった人類は、
今、すこし立ち止まって、
見えない石(宇宙)の大きなたくらみがひそむ『石の夢』の分析を行ってみる必要があ
るのではないだろうか。
そのためには、ひとりひとりが、
石との対話を深めていくことが避けられない。

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2005年11月10日 (木)

『すべてのひとに石がひつよう』

 バード・ベイラー著、ピーター・パーナル画の絵本である。
原著は一九七四年にアメリカで出版されたものであるが、
日本語訳は一九九四年、北山耕平訳で河出書房新社から出された。

 ほかのどんなものを持っていても、
友達の“石”を持っていない子供はかわいそう
ということから始まって、
特別な石を見つける十のルールを教えるお話しである。
 絵は、一度見たら忘れられなくなる極めて独創的なものである。
省略された簡潔な線で、
色彩は黒と土色の2色をごくごく限られた部分のみに
効果的に使用しているだけである。
独特のアングルとクローズアップ手法で、
一人の少女と石が一体となった関係が印象的に描かれている。

  ルール一 山に行くのがよいが、
          家の裏の道でも砂だらけの道でもよい。
  ルール二 静かにして探すのがよいが、
          音がしても気にしないのがよい。
          心配しながらがもっとも悪い。
  ルール三 頭を地球に触れるようにし、
          石を穴のあくほど見つめる。
  ルール四 あまり大きな石は選ばない。
  ルール五 あまりにも小さな石は選ばない。
  ルール六 かんぺきな大きさの石を選ぶ。
  ルール七 かんぺきな色をさがす。
  ルール八 石の形はあなたにまかせる。
  ルール九 いつでも石のにおいをかぐ。
          (子供にはわかるにおいでも大人にはもうそれがわからない)
  ルール十 だれにも相談しない。

 自分の石をもっている訳者の北山氏は、
あとがきで「独りぽっちでも淋しくないこと」と
「変化の時代には、なにが起こるかわかりません。
どうか自分の石をみつけてください」、
「自分の石を手にいれたとき、あなたは地球とひとつになるのです」
と述べている。
 なんと含蓄に富んだ言葉ではないだろうか。
  

 いつの頃からか、自宅の書斎と職場の机の上に、
近くの川原で拾ってきた、なんの変哲もない、手のひら大の数個の石ころを置いている。
石質は、砂岩・安山岩・泥岩・凝灰岩・チャートなどの平凡この上ない石ばかりである。

 時に肩たたきや、文鎮がわりに使うことはあるが、
特別の用途を考えている訳ではない。
 ただ、好きな石を身近に置いておきたいだけなのだが、
あえて理由を探せば、人工物ばかりで囲まれた味気ない環境の中に、
幾分かでも自然の雰囲気を取り入れようとしていることだろうか。

 地球のほとんどの歴史を生きてきたともいえる石ころこそ、
悠久の自然そのものの姿を示している代表といっていいのではないだろうか。
仕事や勉強の合間に、何気なく手にとって、
見つめたり時には耳に当てたり嗅いだり打ち合わせたりもしてみながら、
その個性的な重さと感触や音などを楽しんでいるが、
その間、何を想うわけでもなく、ただぼんやりとしている。
 しいていえば無限のかなたに心を解きはなって、
しばらくの間、瞑想に耽っているとでもいえようか。

 知らず知らず、小杉放庵の歌             

      「石二つ三つ 机の前に置き並べ 

           見くらべおれば  夜は更けゆく」

  の世界を体験しているかのようである。

 そして、これは、坂村真民さんの詩

「石を拾う〜重信川にて〜」に繋がっているのである。
        
         「拾いて何すとなけれど
 
             石はよきかな
 
                 黙しおれど こころなぐさみ
 
               手握れば こころはおどる
 
           ああ これらの石の
 
                  たどりきたりし 長き世を思えば
              
                    わが短き世も かなしくはあらず
                 
                              (後略)・・・・・・・・・」

 このように、石に対面し、石の「声なき声」や「心」、「歩んできた道のり」に
想いをめぐらす為に、意識を集中させることは、
多くの人にとっては理解しがたい馬鹿げた行動にうつるらしい。
本当に意味のない無益な時の過ごし方なのだろうか。

 人は、存在の意味を問い続ける。
無限の時間と空間の中に、放り出された人は不安におののきながら、
試行錯誤の旅をつづけている。

 いかに愛され恵まれた環境の中に育っても、自己確立の道程に苦しみの種が尽きる
ことはない。成長、発達とともに課題も変化してくるとはいえ、
いずれ死を迎えなければならない一生を、正しく整え方向づけて、
生きて良かったと思える人生にしていくことは至難のことである。
 私は、「生き物地球紀行」に代表される自然を扱ったテレビ番組が好きで、これだ
けは欠かさず見るようにしているが、想像を超える、じつに多様な生き物の存在に驚
かされる。そこで見るのが、厳しい生存競争のなかにあっての、本能に従ったと思わ
れる見事に完結し充実した一生の姿である。特に、それぞれの命の連続を保っていく、
生殖と子育てに感動する。
 しかし、“本能の壊れた存在(岸田秀氏の著作群から学ぶ)”である人間には、
一定のパターンを求めることはできない。
ひとりひとり、何でもありの多様な可能性を持っており、
無残な人生で終わってしまう人も後を断たない。

 一方で、これが、変化し続ける地球環境のなかで人類が、
生き延びていく厳しい選択であったかもしれない。

 ただ、完全自由化の中での絶対孤独下で、
苦しい試練の続く生涯となっていることは間違いないことである。
ここで、永遠なる確かな存在への同化というか、
それからの学びと洞察によって、自己救済が図られる必要が生まれてくる。

 宗教や芸術はじめ色々なものが考えられるが、
独断を恐れず言わせてもらえば、『石』こそが、
究極のものであるような予感がする。
 古代から続いている宗教的な様々な石の遺跡群の存在とも通じており、
心を豊かにし安定をはかるために、みんなが「自分の石」を持つことが、
今後大切になってくるのではないかと思われる。

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2005年11月 9日 (水)

『石に叱られて』

 著者は土井歓照という方で、大阪府泉南郡岬町にあるという
宝樹寺(化石寺)の住職である。昭和五十五年十一月一日発行で、
発行所は宝樹寺鶴の子会となっており、非売品である。

 著者略歴には、西山専門学校を経て高野山大学に学び、
昭和十六年宝樹寺住職、昭和四十九年自坊の移転を完了、
同年末西山浄土宗教学部長拝命、任期終了後帰山とある。
 

 『石に叱られて』は、「はじめに」と「おわりに」の間に、
「石との出会い」、「石を語る」、「石を想う」、「石は語る」、
「石に詠う」、「石さまざま」、「法話篇」の各章があり、
その中に全部で八十六篇の散文詩といったほうが適切に思える
短い散文と詩が収められている。
 全てが、長年の深い日々の石との対話の中から生まれて来たと思われる
珠玉のような作品ばかりである。そのひとつひとつに接する毎に、
人としての生き方が清められ、一段と高められていくような気分になる。
いくつか紹介させていただこう。

       「希(ねが)い」
  「仏け我に入り給い、我、仏けに入る」という言葉がある。
  石と語る、石と遊ぶ、石に会う、石に聞く、何れも石に対した我、
   石に向かっている私である。
  何時の日にか、石、我に入り、我、石に入る日の来らんことを!
      

       「静 と 動」
  石の姿ほど静かなものはない。
  心ほど動いてやまぬものはない。
  静と動と合するところ対話が始まる。
  石の静けさには、動く心を捉える力がある。
  動く心に静けさを宿す人間になりたい。

       「石に恥じる」
  石に恥じる
  石のように黙っていることが出来たら
  石のように動かぬ心を持つことが出来たら
  石のように耐えることが出来たら
  石のようにじっと待つことが出来たら

 目次の前に置かれている巻頭詩も引用しておきたい。

      「石」
  石に声があるからこそ
  呼びかけてくる
  石に心があるからこそ
  その心が伝わる
  石は生きているからこそ
  私を魅きつける

 ところで、『石に叱られて』の「はじめに」はわずか3頁であるが、
私が構想しつつある「石想記」を極めてコンパクトにまとめた、
いわばエッセンスといってもよいような内容である。

 「遠い遠い昔、人間が石を投げて獲物をとり、猛獣から身を守り、
敵と闘っていた頃のこと」という書き出しで始まり、
「石窟や鍾乳洞の中に住居していた人間は、生活用具の中に石を採り入れ、
石器を創り、やがて鉱石をみつけてゆく」とすすめて
「石を素材として生み出された人間の歴史は、
石を科学的に征服した歴史でもある」
とし、「然し現代ようやく、
征服の歴史はやがて征服される運命にあると、
気づき始めた人達によって、石の世界への見直しが始まってきた」、
「石に生かされて来たという深い宗教的反省は、
宗教的思考を益々高め深めさせている」、
「今まで石に教えられ、慰められ、励まされ、
そこに拓かれて来た私の人生には、忘れ難いものが沢山
ある」等の文が続く。

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2005年11月 8日 (火)

『石と人生』

 著者は明治二十年埼玉県生まれの河野宗一といわれる方で、
自費出版として、昭和四十三年の十一月五日に発行されている。
発行所は自宅住所で「石の学校」となっており、
贈呈非売品の文字がみられる。
 河野氏は、埼玉師範次いで広島高等師範理科学部を卒業後、
鹿児島県師範教諭を経て、大正五年恩師等と共に朝鮮に渡り、
各地の中学校や師範学校で理科教育に携わった後、
いくつかの中学校長を勤めた。
 昭和二十年に日本に引揚げてからは、
艱難辛苦して開墾事業や種鶏事業を軌道にのせ、
昭和三十二年に角三工業株式会社を興し、今日に至ると略歴にある。

 『石と人生』は、教師時代の理科教育の実践を踏まえる一方、
当時ブームとなっていた
高価で売買される水石の風潮に異議申し立てる気持ちもあって書かれた
全五十一章から構成されているが、
それぞれが「石語」ともいえる、
含蓄に富む「石による無言の人生訓」である。
各章の見出しを列挙したい。

 いくつかの章には非常にユニークな微笑ましい写真が添えられている。

 「人生行路」、「石裸々」、「温石」、「路傍の石」、
「磨けば光る石砕ける石」、「自由と束縛」、「鉱物と岩石」、
「掘出された石」、「山頂の石」、「超然たる石」、「石達磨(七転八起)」、
「表裏一体」、「盆石」、「岩乗」、「丼と杯」、
「好かれる石嫌われる石」、「王座の石」、「麓三十里」、
「岩石の崩潰循還」、「石の衣」、「碁石」、「暗遷黙移」、
「石上三年」、「遠山を眺む」、「差別相と類似相」、
「遠望と近視」、「砂上楼閣」、「石と遺志」、「石臼」、「岩石の取扱」、
「庭石」、「石枕」、「本性の固持」、「流石岩」、「石割れ」、
「日本人と世界人」、「石橋を叩く」、「感謝に眠る」、「待機の臥牛」、
「区別と境界」、「王道と覇道」、「長所と短所」、「眠れる犬」、
「石の地蔵尊」、「岩石と天理」、「石盤と石筆」、「石景色」、「石火」、
「化石」、「土壌」、「結び」

  二三の章の内容を、抜粋してお示ししてみよう。
まずは第一章「人生行路」であるが、
「人生行路には、山坂あり渓谷あり、河泉あり、
加うるに晴雨氷雪あり暴風地震あり、変転極まりなく困難が連続している。
徳川家康は、人生は重い荷を背負って遠い路を行くが如し、
と教示された」という文章で始まっている。
そして、なかほどで
「二宮尊徳先生は、自然界の教文を読み取って之を体して進めと教えられた」と云い、
「宇宙自然界こそ、真実教の本尊様である」と記す。
最後に、写真図を示し「人生行路の一端大要を、
岩石の形状から窮知しようと試みたものです」として次ぎの五型を提示されておられる。

 其一.極めて稀に見る平凡で変化に乏しいすらすらとして変化の少ない人生

 其二.前者と同様な経路を取るも稍変化ある人生

 其三.急激な変化を表し

 其四.苦心惨憺漸く安定した境地に這い上がってやれやれと安心していると

     急転直下して窮地に陥る

 其五.漸くにして登れば落ち、
     落ちては又登る連続して苦難を乗り越えて行く

     世にいう多難な人生行路を表したもの
 

 第四章は「路傍の石」で、「道端に転がって役に立たぬ邪魔になる石も、
愛の手をさし伸べて拾い上げ洗い磨いて、
適材を適処に当て嵌める工夫をしてみると、
⑴基柱石、⑵下磐石、⑶燈石、⑷屋根石、⑸項石と
組み立てられ立派な石燈籠が出来る」から始まり、
「人の世にも路傍の石の如く見做されたり扱われたりする人もある」と云い、
「折角生を此世に受けた人々だから、
何とかしてい生き甲斐あらしめるよう世話してあげたい。少しでも御役に立ててあげたいと愛の手を広げて欲しいものだ。
 恰も路傍の石を燈籠に仕組上げるように、
適材を適所に振り向けて価値ある存在たらしめたい」と記す。
そして、最後に短詩を添えている。

  ○あちこちと 路傍の石を拾い来て 御役に立てんと今日も暮れ行く

  ○石燈籠造る 気持ちや 親心

  ○世界の平和はここからと 

         一心こめて 組み立てた 

                 石燈籠を見る度に 大和心が 涌きあがる 

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2005年11月 7日 (月)

石と在る

2005年11月6日、今日から始める。

 「石」について書いているというか、少しでも触れている新旧の本を、                   長い間、蒐集し続けているが、
これから、それらを少しずつ紹介をしていきたい。

 2年前、書きためていた「石の随筆」を、
還暦記念として自費出版した。
その題名を「石と在る」とした。次の10編から成っている。
            1.「石想記」構想、
            2.自分の石、
            3.石に刻まれた妻、
            4.石と本、
            5.「石の来歴」随想、
            6.川原の石、
            7.人面石の祈り、
            8.石・自然・社会、
            9.石の随筆アンソロジー、
           10.石の夢

2005年11月7日(月)

 『「石想記」構想』の書き出しの部分を、以下に紹介させていただきます。

 人がよって立っているこの地球は、
言ってみれば「石」の集まりである。
山があり、島があり、磯があり、巌があり、
岩があり、石があり、小石があり、
砂があるというように表に出ている形はさまざまで、
その数量たるや無限である。

 実に、「石」ほどこの世に多いものはない。
このようなありふれた「石」に不思議を感じ、
また「石」に感謝し、「石」を畏敬することのできる者は、
現在では数少なくなってきたのではなかろうか。

 しかし、時代を遡るほどに、
それらの感情は大きなものであったに違いない。
「岩石が人間を作った(オークリー)」という金言があるほどである
           (「石の文化史 M.シャックリー 岩波書店」より)。

 これまでの私の石のエッセイシリーズの中で、
幾度か紹介したことのある、
「石の鑑賞 久門正雄 理想社」に収められている
最初の作品「愛石志」の冒頭の章「雲根」の中に、
「石」についての簡潔で、見事な表現の箇所があるので紹介しておきたい。

 「石に蔵する秘密も大いなるかな。
その生出天地と伴って永久不変、小は風塵と共にありながら、
大は地殻として山嶽河海を載せて漏すことなく、
万物を包蔵し一切生命の根元となる」

 「何れにしても岩石は、
釈名の『地は石を以て骨と為す』と言ふ通り、
この大地の骨骼であり地盤である。
石の異名を地骨といひ山骨といひ、
また山体といふのはその意である。
石は乃ち天地の骨である。
そして気がこれに寓るから雲根と云ったのは面白い」

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