「石の随筆アンソロジー」の中で、
私が3番目の作品として選んだ
「石を前にして 内藤濯(『未知の人への返書』中公文庫所収)」
にまつわる話である。
『未知の人への返書』は、
「サン・テグジュペリの微笑」の見出しの下に四編の作品、
「暮らしの中の文学」として二十二編、「忘れがたい人々」六編、
「教えること教えられること」十編、「舞台風景から」二編、
「石を前にして(7頁分)」を含めて二編の「エクセ ホモ」から成り立っている。
内藤濯(明治16年熊本県に生まれ、昭和52年9月死去)は、
「サン・テグジュペリの微笑」の中の四編でも、
詳しく経緯を述べているが、
「星の王子さま」の名訳家として、よく名前が知られている。
まずは、「石を前にして」の冒頭部分を御覧いただきたい。
「旧一高での教え子で、越後の高田で日を送っているKという人がいる。
べつに名を成そうという野心があるわけでもなく、
石についての種々相を六十いくつかの詩にして、
それを一巻にまとめたのが私の手もとにある。
石のようになんの変哲もない真実を、
石のようにやさしい言葉で、
石のように名のない人たちのなかで、
石のように声を出さずにうたいたかった。
こんな小さなつまらなぬ石でも、
なれぬ手つきで掘りおこすにはすくなくとも二年はかかった、
とKはいっている。
こういっているだけに、
慰みに書かれた詩ではない。
書かずにいられなくなって書かれた詩である。
石に親しんだ詩というよりは、むしろ石と取り組んだ詩である」
このあと、四編の詩を紹介し、
それぞれに触発されたような形で、
感想を述べている。
そして、『K』の、人間と自然をみる目の確かさをたたえている。
「Kの詩をめぐって、あれやこれやと考えると、
石には、草木とはちがった特殊な生き方があるわけである。
どんなに四季の移り変わりがあっても、
身じろぎもせず、どこまでも、底なしの沈黙を守っているのが、
石という石のありかたである。
だからといって、無表情であるかというと、けっしてそうではない。
夜明けのしっとりとした空気の中では、
それにふさわしい色つやを見せるし、
日が暮れかかればまた、それにふさわしく、
やわらかな輪郭をみせる。
身についた姿かたちを大切に保ちつづけて、
周囲の自然に順応する、これが石という石の宿命である」
「およそ日本の庭園なり泉水なりの飛石は、
あらかじめ幾何学的に定められた方向にのっとって並ぶのではなくて、
石の身についた自然が、しぜんに方向を定めるのである。
世には気まかせということがある。
無理をせずに、自然にまかすことがそれである。
美しさをきわめた人間行為であるが、
日本庭園の飛石は、つまるところ、
やはり自然さが生んだ美しさで成り立っているのである。
飛石をならべたのは、むろん人間である。
だが、この場合は、自然が人工を見えなくしているのである。
あるいは、自然が人工を美しく生かしているのである。
自然の生き方ーひいては石の生き方と、
人間の自然の生き方との調和ということがもし考えられるなら、
それこそ美しさの絶頂であろう」
私は、この作品に出会ってから、
ずっと『K』なる人物が気になってしかたがなかった。
また、六十余編からなる詩集にも、どうにかして出会いたかった。
そして、越後の高田方面に行って、
古書店めぐりをし探し求めたいとも、思い続けて来た。
それが、思いもかけず数年前の妻の死が、
不思議な結縁となり、K氏判明へと導いてくれたのである。
このことは、私としては、
これから重く受け止めていかねばならないことと思っている。
というのは、妻の戒名にあわせて、
つけていただいた私の戒名の中に、『良寛』という文字が含まれたのである。
私は、このことを、
妻からの“良寛さんから人生を学んで下さい”
との啓示と捉えていきたいと、想い定めている。
そして、「良寛」に関する書物を、
我が蔵書の一角に増やしていきたい思って、
少しずつ古本を中心として購入していきだした。
そのような中、2004年2月15日、
K氏が「北川省一氏」であることが明らかになったのである。
それは、その日、ある研修会の帰りに、
たまたま立ち寄った書店の「洋書・新本・文具等のバーゲンフェア」で、
「永遠の人 良寛 北川省一遺稿集 考古堂(1994年7月20日発行)」
に出会ったことによるのである。
その本の目次に目を通すと、
永遠の人 良寛
「帰らざる雁」と帰雁ー乞食井月と良寛ー
講演 人間の尊厳ーその生きざまー
最終講演 良寛の心
随筆集 風の声(47編の題名が載っている)
詩 抄
北川 省一 年譜
著書一覧
となっており、
随筆の1編に「私の処女詩集『石ノ詩』」という題名があったので、
頁をめくってみた。
2頁に過ぎない作品で、
その最後の部分に「・・・・ちなみに『石ノ詩』については、
サン・テグジュペリ作『星の王子さま』の訳者、
故内藤濯先生が『未知の人への返書』(中央公論社)の中の
『エクセ ホモ(この人をみよ)』の章で
『石を前にして』と題して書いておられました」とあった。
さらに、「講演 人間の尊厳ーその生きざまー」の終わり部分で、
極めて感動的な師弟関係が話されているのである。
やや長くなるが、ぜひとも紹介したい。
「・・・・この歌をみて私は
『ああーそうだったのか』と良寛の心がわかったと思った。
その時から、良寛は“わたしの良寛”になった。
一言一行が、人間を救うことがある。
一言一行が人間を救うということに関連するが、
私は先日次のようなことに出会った。
知り合いの新聞記者がきて『この本に、おまえのことが書いている』。
その本というのは、
私が一高時代にフランス語をおそわった
内藤濯先生が中央公論社から出版された『未知の人への返書』である。
私は刊行されたことは知っていたので、さっそくとりよせた。
するとその最後の章に
『エクセ ホモ(この人をみよ、というギリシャ語)』という題のもとに
『越後の高田にKというわたしの教え子がある・・・・』という書き出しで、
私が昔(昭和36年)出版した『石の詩集』について、
6、7ページにわたって書いていてくれる。
私は学校を出てから四十年、
手紙一つさしあげず、どこで何をしているかわからない。
ただ教室だけの先生としていた。
その先生がたまたま私の詩集を見て、
かっての教え子のことを書いてくれたことを知った。
教室だけの先生でなく、一生の師父となっていてくれたことを知った。
その師父に私が教え子の一人として選ばれたことを知った。
本を通して先生に手を握ってもらった。
この感激。百五十年前の良寛にも手をにぎってもらい、
その温かみ、悲しみ、喜びがわかる。
遠い人、死んだ人、そういう人と心を通じることができる。
そういうことがありうる。皆さんにもあってほしい」
北川省一氏(1911年新潟県柏崎市に生まれ、1993年死去)は、
帯カバーに『良寛になった北川省一』とあり、
「一高、東大仏文科に学ぶが、プロレタリア運動に走り3年で中退。
応召、中千島で2度の越冬を経て帰郷、農民運動・労働組合運動に奔走。
高田市長に立候補などー、政治活動の後、貸本・回読会を業とする。
誘われて会社の経営に参加するが倒産。
家屋敷を差し押さえられ、受難の時代がつづく中、
図書館で良寛と劇的な出会いをした。
以後、良寛を善友、師父とした作家活動のに専念。
波乱の生涯を真剣に駆けぬけた感動の書」とある。
著書一覧によると、良寛に関する10数冊の著書があるようである。
これから、少しずつこれらを手に入れて、読んでいきたい。
また、「永遠の人 良寛 北川省一遺稿集」と同じ出版社から、
「版木本詩集 石ノ詩 詩書 北川省一
刻字 関口八郎版画 布施一喜雄 発行
北川先生を囲む会 1991年3月1日」
が出版されていることがわかったので、早速取り寄せた。
個々には、題名を持たない39編の詩からなっていた。
いずれも、石のさまざまな性質や姿に自分の人生を重ねてうたった、
読む者の襟をたださせるような重い詩である。
石から学ぶことができる奥の深さを感じさせてくれる。
いくつか紹介しておきたい。
石はここに在る
石はどこにでも在る
石はこの日に在る
石はどの日にも在る
石はこの胸の上に在る
石冷えのひえびえと
わが胸の痛みに肌寄せ
落葉を打つ雨にも似て はらはらと泪を落す
石は値打をもたない
石の置かれた場所が石の値打ちだ
石立の妙だ
しかし石そのものが立派だと
石の在る場所が樞(かなめ)となって
あたりに値打ちをつける
そういう石でありたい
そういう石の詩でありたい
人間の一番下手な生き方を
碌(ろく)々という
石の生き方だ
石はそれほどにも
愚かしく能なしだ
その石の生き方に
私は脱帽する 小学生のように
昭和36年に出版された元本である「詩集 石の詩(昭森社)」には、60余編の
詩が収められているらしいが、いつの日にか、出会えることがあるだろうか。
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